京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 COSER Center for On-Site Education and Research 附属次世代型アジア・アフリカ教育研究センター
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
フィールドワーク・レポート

インド・ケーララ州における特別支援学校と障害者の包摂 /「憩いの場」としての可能性

お祈りの風景:30分間のお祈りに集中できず走り回る生徒とその生徒を追いかける補助スタッフ。

対象とする問題の概要

 障害者研究は、障害を個人に起因するものとする従来の「医学モデル」から、障害は社会に起因するものとし環境整備によって障害は解決できるとする「社会モデル」を提示することで発展してきた。段差を撤去しスロープを設置するようなバリアフリーが「社会モデル」の具体例にあげられる。しかし、障害の原因を個人から社会へシフトした「社会モデル」では、社会環境さえ整備すれば障害は消失すると考えるが、障害者個人が身体的特性として抱える障害そのものがなくなるわけではなく、個人のインペアメントによって生じる生きづらさが置き去りにされてきた。また、障害児教育に関して、障害の有無によらず全ての児童に教育を提供することを理念に掲げた「インクルーシブ教育」が主流であるが、その方策を提示しなかった出自ゆえに具体性に欠けており、各国であらゆる解釈がなされて実践されており、いかなる環境を用意すべきかには未だ検討が必要である。

研究目的

 南アジアの中でも社会福祉に関して先進的であると知られるインド・ケーララ州の特別支援学校では、年齢制限がなく、精神障害や身体障害といった障害の種類を区別されることはない。中高年世代も若年層と共に通学し、職業訓練を受けている。居場所が確保された中で自由に過ごし、健常者同等の生産性を求められず各々の可能な範囲で生活し、社会の規範に則った行為を強制されることはない。このような自由な空間は、単なる教育の場としてではなく、多様な人々の集まる「憩いの場」として成立している。本研究の目的は、人が最初に直面する社会の一つである学校に着目し、ケーララ州の特別支援学校がいかなる形で運営され、障害をもつ子供がどのように生活し、学校で得られたスキルや社会性がその後のライフコースの中でどのような意義をもつかを検討することで、障害児教育現場に新しい視点をもたらすことである。

職業訓練クラス:18歳以上の生徒が在籍し、工作やPC訓練などを行う。年齢制限はないため、59歳の女性も在籍している。

フィールドワークから得られた知見について

 今回、3つの特別支援学校にて民族誌的調査を行った。インドではヒンドゥー教の伝統的な考え方であるカルマによって、障害は前世での行いによる報いや恥だとされてきた。そのため、障害をもつことは、たたりや罰だと捉えられ、障害者に近づくと障害がうつると考えていた人も多く存在した[中町 2001]。ケーララ州においても障害をもって生まれた子どもを「恥」だとし、家族は子どもを家に隠す傾向があり、今なお、村落部を中心にこうした傾向は根強く残っている。ケーララ州の特別支援学校は、このカルマによって障害を捉えることを否定するミッショナリーによって始められ、障害をもつ子どもに教育の場を提供すると共に、人々の障害観を改善させようと努力している。村落部に存在するシスターが運営する学校では、2001年の学校設立に際し、前述したカルマにより、障害を持つ子どもの家族からの協力は得られず、最初の生徒は数人程度だった。しかし、シスターが幾度と調査を重ね、人々に働きかけていき、2019年現在では166人が通学する大きな学校となった。このように、ケーララ州の特別支援学校の広まりおよび障害観の変化に関して、カトリック系キリスト教の努力が大きく、ケーララ州に存在する特別支援学校の大半がカトリック系キリスト教団体と強い関係性を構築している。
 一方、こうした学校という包摂の取り組みの中で、障害の程度や機能レベルによるプログラムの参加可否を強制されるといった排除も行われていることが明らかとなった。親団体の理事長に提出するプログラムの写真撮影では、作業遂行能力が高い生徒のみ集められ、奇声を発する自閉症の男性や重度脳性麻痺で車椅子を使用する男性は、教職員によって集団から退けられた。また、生徒間の暴力に対しては、教職員が木の棒で生徒を叩くなど、厳しい躾も施されていた。「憩いの場」が必ずしも常に安らぐことのできる場ではないことが明らかになった。

反省と今後の展開

 これまでの調査で、ケーララ州の特別支援学校は、生徒の主体性を重視した自由な場であり、社会的な規範に則った行為を強制させられることはない、としていた。しかし、今回の調査によって、生徒間の暴力は厳しく罰せられたり、奇声をあげる生徒に対し木の棒を振りかざして静かにさせたり、必ずしも常に生徒に自由が許されているわけではないことが明らかになり、仮定が大きく崩壊した。ただ、授業中に走り回る生徒を放置するなど、生徒の自由が許容される場面も見受けられた。すなわち、「憩いの場」が成立するにあたり、単なる生徒の自由を許容した場ではなく、その社会の中で何かしらの規範が存在し、その境界線を越境したとき、教職員によって指導、躾が施される。今後、この「憩いの場」を成立させうる様々な境界線を緻密に分析していく必要がある。
 仮定が大きく崩れるという今回の体験を元に、先入観にとらわれず、目の前の事象を分析、記述していきたい。

参考文献

【1】中町芙佐子. 2001. 「インドにおける障害児対策の推移-1980年代から2000年-」『東京家政大学院大学紀要第41号』東京家政大学院大学. pp.47-54.

  • レポート:中江 優花(平成30年入学)
  • 派遣先国:インド
  • 渡航期間:2019年9月17日から2019年10月17日
  • キーワード:スペシャル・スクール、障害、カルマ、包摂、排除

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