エチオピアの革靴製造業における技能の形成と分業/企業規模の変化に着目して
対象とする問題の概要 エチオピアは近年急速に経済成長を遂げている。過去10年、同国の1人当たりのGDP成長率は平均7.4%とサブサハラアフリカの平均1.4%に比べて、高い成長率を誇る。エチオピアの主要産業はコーヒーや紅茶、切り花等の農業で…
スーフィズムは音楽、詩、舞踊などを通して神や宇宙とのつながりや、神への愛を表現する。そして修行を重ねて魂を浄化し、個我からの解放と神との合一を目指す。このようなスーフィズムの実践を、セラピーとして癒しやストレス解消に活用させたものがスーフィー心理療法[1]である。スーフィズムと心に関する研究は2000年頃から注目され、進展中の研究分野である。
トルコでは世俗化政策の一環として1925年からスーフィズムの宗教的活動は禁止されている一方、スーフィズムの旋回舞踊であるセマーはユネスコの無形文化遺産に登録されている。現在、セマーは儀式としてではなく観光文化資源として活用され、ショービジネスとしての役割を担っている。
このような社会的背景を踏まえ、本研究では世俗主義によってスーフィズムの実践が困難になった現代トルコにおいて、スーフィー心理療法はスーフィズムが社会に適合した新たな一形態であるという仮説をもとに調査を進めた。
[1] スーフィー心理療法(Sufi psychotherapy)の「スーフィー」(Sufi)は、スーフィズム(Sufism)の形容詞的用法として使われている。一方、日本語の「スーフィー」はスーフィズムの形容詞的用法ではなく、スーフィズムを実践する人を指す名詞である。
本研究ではイスラームの世俗社会である現代トルコに着目し、スーフィズムの実践が憚られる状況で、いかにスーフィズムが認識・実践されているのかを、現代人のストレス緩和を目的とするスーフィー心理療法を通して分析する。そしてトルコ独自のスーフィズム観を解明する。
スーフィー心理療法は1945年にトルコ人学者ヒルミ・ズィヤ・ウルケンが『スーフィズムの心理学』という論文を発表して以降、ネヴザット・タルハンの『メスネヴィー・セラピー』(2012年)やケマル・サヤの『スーフィー心理学』(2016年)など、スーフィズムとセラピーや心理学が接合する書籍がトルコでは多く出版されている。
今回の調査ではスーフィー心理療法に関連する書籍の収集と、スーフィー心理療法およびスーフィズムの認識に関する聞き取り調査を行った。また、スーフィズムの伝統を実際に体感するためワークショップに参加した。加えて、語学力の向上にむけて語学学校に2か月間通った。
今回の調査では2つの知見を得た。ひとつは、スーフィー心理療法はスーフィズムとは区分される形だという認識がされていた点である。もうひとつは、「スーフィズム」とされるものの境界が存在しているという点である。
聞き取り調査では、スーフィー心理療法はスーフィズムが変化した新しい形なのかを現地のイスラーム研究者と大学院生に尋ねた。その結果、スーフィズムとスーフィー心理療法は重なる要素もあるが別物であり、新しい形ではないとの認識を抱いていた。また、伝統的なスーフィズムの営為ならばトルコ語でスーフィズムを表す「タサッヴフ」と表現するという意見も得た。
私はこれまで大きく「スーフィズム」を括っていた。しかし彼らは「スーフィズム」と「タサッヴフ」はやや異なる部類だと認識しており、この意識はスーフィズムのカテゴリー化の着想にも関連する。
資料収集のためイスタンブルの書店や図書館を訪れた際、スーフィズムとセラピーに関する書籍は『タサッヴフ』の本棚で見つけることはなかった。イスタンブルの書店を7か所回った結果、スーフィズムに関する書籍は主に『タサッヴフ』『(超)心理学』『自己啓発』の3つに分類されていることが分かった。
『タサッヴフ』の棚にはスーフィズムの歴史や思想に関する書籍が分類されており、スーフィー心理療法に関する書籍を『タサッヴフ』に含む例は確認できていない。スーフィズムをセラピー的に扱う書籍は『心理学』に分類されている。また、スピリチュアルな内容を扱う『超心理学』の棚にはルーミーのタロットカードやスーフィズムの霊魂論に着目した書籍が並んでいる。そして『自己啓発』の棚には、若手スーフィー且つネイ奏者であるハカン・メンギュチの書籍が置かれている。
このように、スーフィズムは大きな一つの範疇で捉えられない。スーフィー心理療法は伝統的な「タサッヴフ」の延長ではない宗教実践なのである、と仮説は覆された。
反省点は、スーフィー心理療法の施術者と利用者に話を伺えなかった点である。一方、今回の調査ではセマーダンスとオスマンタイルの絵付けといった、スーフィズムにまつわる2つのワークショップ(個人指導)に参加した。両者ともスーフィー心理療法という宣伝文句はないものの、どちらの講師も頭を空白にして何も考えないことを重要としていた。そしてその時間が瞑想になり、日常のストレスから解放されるのだという。この忘我の境地をスーフィズムではファナーと呼ぶ。このファナーこそがスーフィー心理療法の核であると予想している。
今後は、『タサッヴフ』『(超)心理学』『自己啓発』で扱われるスーフィズムはどのような側面を切り取られ提示されているのかを分析する。同時に、タサッヴフとスーフィズムの微差や分類を内向きのスーフィズムと位置づけた場合に対する、ワークショップで観光客に伝える外向きのスーフィズムとの差異も分析したい。
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