京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 COSER Center for On-Site Education and Research 附属次世代型アジア・アフリカ教育研究センター
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
フィールドワーク・レポート

身体感覚の習得に関する人類学的研究 ――ヨット競技における人・モノ・環境の関係から――

練習観察はモーターボートの上から行う

研究全体の概要

 本研究の目的は、風・波を感じ、2人で共に操船し順位を争うヨット競技について、京都大学体育会ヨット部(KUYC)を対象に、操船に必要な感覚が習得される過程を明らかにすることである。学習に関する人類学的研究は、従来の言語中心的な学習への批判から、身体と環境との相互作用に着目し、感覚を含む身体活動の学習は、言葉のみならず身体的な実践を通して実現するという視座を提示してきた(Marchand 2008)。そこでは、手本として目指される「型」や指導者の存在が前提とされ、その熟練過程が焦点化される。
 本調査も学習における身体と環境の関係に注目して参与観察を行った。その結果、KUYCでは、指導者が不在であること、操船技術は時に個人によって選択され「型」が不在であること、「感覚」が重要視されその意味する対象は多岐にわたることが明らかとなった。今後は自ら熟練するということはいかに可能なのかという問いを考える。

研究の背景と目的

 本研究の目的は、風・波を感じ、2人で共に操船し順位を争うヨット競技について、KUYCを対象に、操船に必要な感覚が習得される過程を明らかにすることである。近年の学習の人類学的研究は、言語中心的な従来の教育への批判から、学習の身体性や状況性を強調してきた。中でも、芸能活動や職人集団を対象にした研究の多くは、実践を言語化して教示・伝承することの困難さを指摘してきた。それらは、身体と環境との相互作用に着目し、感覚を含む身体活動の学習は、言葉のみならず身体的な実践を通して実現するという視座を提示してきた(Marchand 2008)。
KUYCは、2019年度に37年ぶりの全国優勝を飾った勢いのあるチームである。KUYCにおいて、操船技術に必要な身体感覚が習得されていく過程を、身体とそれをとりまく環境に注目して明らかにする。

練習風景

調査から得られた知見

 今回の調査では、滋賀県大津市立柳ヶ崎ヨットハーバーを拠点に活動するKUYCを対象に、練習観察、聞き取り調査を行った。練習観察はモーターボートの上から特に風や波など環境との関係に注目して行い、練習後に陸上で選手に対する聞き取りを行った。その結果、以下の3点が明らかとなった。
 1つ目は、指導者がおらず選手たち自身で練習をマネジメントして上達を図っているという点である。不定期に下級生を教えに練習に来るOBが存在するものの、常駐するコーチや監督といった指導者がいないことが特徴であった。2人でペアを組んで練習するため、後輩は先輩と乗った場合には教えを乞うことができるが、初学者同士で乗る場合も多く、指導なしで練習している時間が長いことが分かった。2つ目は、操船技術には個人によって選択される領域が存在するということである。操船技術には、チーム全体が目指すべき「型」が存在しているわけではない。選手それぞれが選択する側面も存在し、その選択は個人の判断にゆだねられていることが明らかとなった。どの技術を選択するかは、選手同士で交わされる陸上でのさりげない会話や、他校との練習レースでの他校の選手の観察、選手の体格や体重、船による物質性の違いに由来していることが示唆された。3点目は、ヨットの操船技術に「感覚的な」要素が深くかかわっていると選手ら自身が強く認識しているということである。これも、いかに技術を選択するかという点に関わっていることが示唆された。また、感覚という言葉で表現される現象にも複数あり、その対象は風や波などの状況をはじめ、船の状態、また距離やスピードといったものを含む、幅広いものであることが確認された。

今後の展開

 今回の調査から、身体感覚の習得は、指導者不在の中、自由度のある状態でなされているということが示唆された。このことから、2つの方針を立てて、調査を継続する。1点目は、操船に必要な感覚の詳細な記述である。その時々の風や波などの自然環境と、船の物質性など身体を取り巻く環境に注目する。「感覚」は人類学のみならず、様々な分野が対象とし、その解釈も多様であるため、幅広い分野のレビューを通してKUYCにおける感覚の十全的な理解に努める。2点目は、技術の選択についての分析である。今回の調査から技術の選択には、複数の要素が関わっていることが示唆された。人々の関係性の中でいかに技術の選択が行われていくのかを理解する。
 以上の分析を通じ、指導者や「型」が前提とされていない状況下で、身体感覚やそれに基づく技術はいかに習得されるのかについて考察を深め、身体に根差す知識についてのさらなる理解を目指す。

参考文献

 Marchand, T. H. 2008. Muscles, morals and mind: Craft apprenticeship and the formation of person. British Journal of Educational Studies 56 (3):245-271.

  • レポート:長塚 正一郎(2020年入学)
  • 派遣先国:(日本)滋賀県大津市など
  • 渡航期間:2021年6月24日から2021年7月31日
  • キーワード:身体感覚、身体知、学習

関連するフィールドワーク・レポート

現代中央アジアにおける安全保障問題の取り組み ――北海道大学での文献調査――

研究全体の概要  本調査では、ソヴィエト連邦崩壊後の中央アジアにおける国際関係を題材にした、文献(学術書、ジャーナル、ニュース)を収集することで、研究に必要なデータの確保を目的としている。1991年以降、中央アジア情勢の変化は国際政治の中で…

高山地帯に生息するユキヒョウ(Panthera unica)の家畜襲撃によって生じる地元民との軋轢に関する研究

対象とする問題の概要  ネパールでは、肉食動物による家畜襲撃が問題となっている。特にIUCNレッドリストで危急種に指定されているユキヒョウによる“マスキリング”(家畜の大量殺戮)が起こることで、被害は大きく、地元民との軋轢を深刻化させている…

東ネパールにおける先住民族の権利運動――「牡牛殺し」に関する事件を事例に――

対象とする問題の概要  ネパールには先住民族が存在している。その多くは元々ヒンドゥーとは異なる自らの文化や宗教を実践していたが、1768年にシャハ王が現在のネパールと呼ばれる土地を統合して以降、ヒンドゥー文化を基準とした実践が強制されるよう…

現代イスラーム世界における伝統的相互扶助制度の再興と新展開―マレーシアのワクフ制度に注目して―

対象とする問題の概要  本研究は、ワクフ制度と呼ばれるイスラーム世界独自の財産寄進制度に焦点を当て、その再興が見られるマレーシアに着目し、その実態の解明を目指す。 ワクフは、イスラーム独自の財産寄進制度であり、長きにわたりイスラーム世界の社…

インドネシア・カリマンタンにおける森林保護の動向 /複数ステイクホルダーによる活動から

対象とする問題の概要  2019年9月の国連気候変動サミットにおいて、スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリが環境問題に対する力強いスピーチが話題となった。彼女以前にも気候変動に対する警鐘は長きにわたってならされたはずであるが、この問…

2017年度 成果出版

2017年度のフィールドワーク・レポートを編集いたしました。PDF版公開を停止しています。ご希望の方は支援室までお問い合わせ下さい。 書名『臨地 2017』院⽣海外臨地調査報告書 発⾏者京都⼤学⼤学院アジア・アフリカ地域研究研究科附属次世代…