京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 COSER Center for On-Site Education and Research 附属次世代型アジア・アフリカ教育研究センター
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
フィールドワーク・レポート

ブータンにおける女性の宗教実践とライフコースの多元性

プナカにある調査地・K 村の全景(2018年1月24日)

対象とする問題の概要

 南アジア社会における女性研究では、世俗としての家族と現世放棄としての出家という二項対立的な女性のライフコース選択は自明のものとされてきた。特に、女性のセクシュアリティは危険なものとされ、家族や宗教といった制度によってコントロールされるべきであり(八木祐子 1999)、それ以外の生き方を選択するということは、逸脱者として周縁的な立場に置かれることを意味していた。しかし、ブータン社会においてシングル女性は必ずしも制度や規範からの逸脱者として位置づけられていない。彼女たちは制度との関係を取捨選択し、自らの立ち位置をずらしながら、制度の内で生きている。本研究では、こうしたシングル女性を中心に据えつつ、「一般的」な既婚女性や出家して尼僧となった女性たちの生活世界をも見直し、ブータン女性のライフコースを丹念に見ることで、「女性がシングルとして生きる」ということが逸脱にならない社会のありようを明らかにする。

研究目的

 本研究の目的は、ブータン社会において「女性として生きる」とはどういうことか、女性たちの宗教実践とライフコースの選択を観察することを通して明らかにすることである。ブータン社会では、女性のライフコースの選択は出家か結婚という二者択一ではない。第三の選択肢、「在家であっても尼僧としてシングルとして生きる」という選択が可能であり、こうしたシングルとしての生き方が準制度として社会的に構築されつつある可能性がある。本研究では「一般的」な既婚女性、出家者、そしてシングル女性という三者に着目し、(a) 現代ブータン社会における女性の生き方の多元性、(b)宗教実践を通してみるブータン仏教の包摂性、(c)「はざま」に生きることを可能にする社会文化制度、を検討することで、女性たちの多元的な生き方を可能にしているブータン社会の宗教的諸相とジェンダーの関わりを明らかにする。また、ゾンカ語の習得も今回の渡航の目的の一つである。

フィールドワークから得られた知見について

 今回のフィールドワークは上述した研究を遂行する為の予備調査と位置づけ、渡航中は主に言語習得、調査地の選定、研究の基礎となる情報の収集に努めた。日程の前半は受入機関であるシェルブツェ大学に滞在し、女性のライフコースに関する研究をする上で参考になるであろう、ジェンダーやブータン社会に関する授業を聴講した。また、家庭教師を雇いつつ、近隣の小学校にも通うことで現地語であるゾンカ語の習得に励んだ。
 日程の後半は、主にパロ県とプナカ県の村落域での調査地の選定や、ティンプー市内・ティンプー郊外において女性たちを対象にライフコース選択に関するインタビューを行った。また、今回の滞在では、尼僧院を支援する団体である Bhutan Nuns Foundationへの訪問や、東部にある数箇所の尼僧院での滞在をとおし、(a) 現代ブータン社会における女性の生き方の多元性、の一側面である、尼僧としての生き方について理解を深めることができた。
 ブータンに尼僧院が初めて設立されたのは 1980 年代に入ってからのことである。現在国内には 28 の尼僧院が存在し、そこで約 1000 人の尼僧が生活を送っている。彼女たちが出家を志した理由として様々な要因が挙げられるが、中には家庭内暴力や離婚、煩わしい家族関係からの逃避先として選んだという人、学校での落第や就職失敗を機に出家したという人もおり、尼僧院がシェルターやソーシャルセキュリティーの一つとして機能していることが明らかになった。また、出家が制度化されていた(Tsunthrel)男性と比べると、そのような規律が存在せず、尼僧院の数も限られている女性にとって、出家は容易に取りうる身近な選択肢とは言い難い。こうしたことから、「尼僧になる」という選択肢は、近年になり社会構造の変化と相まって広がり始めた新たな動きである可能性が高いのではないかと推測される。

タシガン・ラディ、インフォーマントの尼僧 (2018年2月16日)

反省と今後の展開

 これまでの研究では、女性のライフコース選択について分析する方法として、特に本人たちのエイジェンシーや家族・親族との関係性に焦点を当ててきた。勿論、本研究を進める上でそれらは大事な要素であり、今後も観察を続けていく必要がある。しかし、それに加え本調査では、社会変化や経済状況等が女性たちの選択に及ぼす影響についてもより深い考察をする必要性があると感じた。
また、今回のフィールドワークは時間や制度との兼ね合いもあり、広く浅くの表面的な調査になってしまった。特に、村落域での調査は、ゾンカ語が目指していたほどの習熟に至らなかったこともあって、村の人たちから深く話を聞くことは叶わなかった。次回の調査までにゾンカ語の運用能力を向上させられるよう尽力していきたい。

参考文献

【1】八木祐子.1999.「結婚・家族・女性―北インド農村社会の変容」窪田幸子・八木祐子編
『社会変容と女性―ジェンダーの文化人類学』ナカニシヤ出版,36-65

  • レポート:川村 楓子(平成29年編 入学)
  • 派遣先国:ブータン王 国
  • 渡航期間:2017年12月3日から2018年3月15日
  • キーワード:ブータン、ライフコース、シングル女性、尼僧院

関連するフィールドワーク・レポート

現代イランにおけるイスラーム経済の実態/ガルズ・アル=ハサネ基金を事例に

対象とする問題の概要  近年、金融の国際的な潮流のなかでイスラーム経済、イスラーム金融が注目を集めて久しい中、それらの注目はマレーシア、湾岸地域にとどまっており、報告者の着目するイランの実態に関する情報は多くない。また近年マイクロファイナン…

ソマリ語による歴史的知識の生産――ケニア内ソマリ人を事例として――

対象とする問題の概要  元来、ソマリ人はアフリカの北東地域に国境をまたがって広く住んでおり、ソマリアの独立前後より、こうしたソマリア国外のソマリ人居住地域をソマリアへ併合する政治運動が、ソマリア内外で盛んとなっていた。しかし、1991年に国…

シリア難民の生存基盤と帰属問題の研究(2017年度)

対象とする問題の概要  国民国家制度はこれまで「国民」の生存基盤と帰属問題を保障してきた。しかし、国民国家制度が変容する中で様々な限界が露呈し、数々の難民問題を生み出す一方で、それに対して不十分な対応しかできないでいる。 特にシリア難民問題…

ヒマーラヤ地域における遊びと生業――Sermathang村を事例に――

対象とする問題の概要  私がフィールドとするヒマーラヤ地域は、「世界の尾根」とも呼ばれるヒマーラヤ山脈の影響を様々に受けている。そしてもちろん、そこに暮らす人々にも、気候や経済活動などの面で影響は及び、ヒマーラヤ地域には独自の文化や産業があ…

ウガンダ都市部におけるインフォーマリティに関する研究/バイクタクシー運転手を事例として

対象とする問題の概要  ILOは、発展途上国における都市雑業層をインフォーマル・セクター(以下、ISと略記)と定義し、工業化が進めばフォーマル・セクター(以下、FSと略記)が拡大して、ISは解消すると予測した(ILO, 1972)。しかし、…

ケニアにおける博物館事業の展開とその矛盾――国民性と民族性のはざまで――

対象とする問題の概要  ケニア史を彩る国民的英雄たちについて展示する国立博物館が、ケニア共和国ナイロビ県ランガタ地区ウフルガーデンにおいて竣工し、展示場の一般公開を間近に控えている。関係者が「ヒロイズム・ミュージアム」と呼ぶ当館は、ケニア国…