茨城県大洗町インドネシア人のコミュニティとエスニック・アイデンティティの実態――キリスト教世界観との関連――
対象とする問題の概要 1980年代以降、日本における外国人定住者数は急増している。1990年の入管法改正による日系外国人の流入、1993年の技能実習制度創設による外国人労働者の全国的な受け入れ、彼らは都心から地方にまで幅広く定住するように…
独立後のアフリカ諸国の特徴のひとつとして、都市への急激な人口流入が挙げられる。この人口流入は、独立後の都市偏重型開発政策によって広がった都市と農村の所得格差、雇用機会の安定性の相違によって、都市における労働力需要を超過しながら続いてきた。超過した労働力人口は、就業の機会を待ちつつ、都市周辺にスラムを形成するとされている。小倉充夫 [1995]によれば、農村から都市へ流入してきた第1世代の住民たちは、都市に居住しながらも、退路としての農村との強い結びつきを維持しているという。しかし、近年では都市に生まれた第2世代以降の人口が増えてきている。帰村するよすがに乏しい彼/彼女らの多くは、雑業や犯罪によって糊口を凌いでいるが、第1世代に比してより経済的に不安定な立場に置かれているものと推測される。
本研究の目的は、スラムに生まれた第2世代以降の住民たちの政治参画、政治的動員と暴力を促す要因を明らかにすることである。F.ファノン [1996]やA.カブラル [1980]は、農村から都市に流入した第1世代の人々について「ルンペン・プロレタリアート」「デクラッセ」と定義し、農村の苦難と都市の格差を、身をもって知る彼/彼女らが独立革命の原動力とも、反動勢力の尖兵ともなりうることを示している。また、植民地政府と独立勢力の対立が消滅した独立後のアフリカ諸国においても、新政府が国家暴力を継承し、反対派を弾圧する構図がみられる。その構図の下で現在でも都市のスラム住民たちは政治的動員の対象となっていると推測される。例えば、2020年にザンビアで中国企業が焼き討ちに遭い、中国人幹部3名が殺害された背景には、当時のルサカ市長が喧伝していた反中国キャンペーンの存在があるとされ、そこにも新たな文脈で政治的動員が行われていることがうかがえる。
ザンビア中部、コンゴ民主共和国との国境に近いコッパーベルト州キトウェ市にて調査を行なった。当地の主産業は銅の採掘と製錬で、1920年代に植民地政府によって都市が拓かれた。市の南方に位置するNkana West地区には、Black Mountain(以下、単にBMと表記する)と呼ばれる銅製錬残滓(鉱滓)の廃棄場がある。筆者は、BMにおいて鉱滓の再回収に従事するスラムの若者たちに同行し、彼らの生計手段やライフヒストリーについて聞き取りと参与観察を行なった。調査で判明した知見は以下のとおりである。
ザンビアの鉱業が民営化されたのち、BMの所有権は外国企業に売却されたが、地元の人々はBMに不法に立ち入り、鉱滓を回収して売却していた。2010年代には、当時の与党愛国戦線(PF)の主導で、地元の人々によるChapamo Mineral Resource社(Chapamo社)に採掘権の一部が付与された(コッパーベルト州はPFの強固な地盤である)。しかし、2021年の政権交代によってChapamo社の採掘権は停止され、新政権(UPND)の組織した協同組合(Consortium)に権利が移管された。それを契機に地元の若者と警官隊が衝突するに至り、今回の調査のインフォーマントのうち幾人かはこの際にゴム弾で撃たれ負傷したという。なお、現在は住民用に割り当てられた区画の鉱滓がほぼ枯渇しており、Consortiumももはや活動していない。地元の住民たちは、区画内にわずかに残る鉱滓をかき集める、あるいは、外国企業の採掘区画やトラックから鉱滓を盗むなどの方法で収入を得ていた。鉱滓窃盗は10人前後のグループ(Company)単位で行われており、120程度のCompanyが活動しているという。
若者たちは、鉱滓窃盗について「ザンビアの資源をザンビア人の手に取り戻す」と正当化しており、野に下ったPFと関係のある地方ボスの後援があったことも示唆していた(なお、この地方ボスは2022年に妻の手によって射殺された。若者の中にはUPNDの関与を疑う者もあった)。総じて、スラム住民たちは今もなお政治的動員と暴力に密接した生活を送っていると考えられる。
今次調査の反省として、インフォーマントと接触した時期が遅かった点が挙げられる。調査許可取得やテーマ設定が難航し、実質的にフィールド調査に出られたのは調査期間終盤の1か月間だけであった。雨季に入るとCompanyの活動も低調になるので、次回は乾季が終わる前に現地入りしたい。
今後は、BMの採掘権分配をめぐって、政党が都市の貧しい人々をいかに組織し、いかなる対立を引き起こしたかについて詳細に調査する。特に、小倉 [1995]で示されたように、スラムには農村同様の低賃金労働力再生産・社会保障機能が形成されていることを念頭において、以下の仮説を提示し、現地調査を通じて実証する。その仮説とは農村との紐帯に乏しい第2世代以降の住民にとってスラムの共同体の重要性が高まり、ここに支持を求める政党が浸透することで、従前よりも強固に組織化され、政治的に多数が動員されやすく、他者との間でより尖鋭な対立に発展することも辞さない支持者集団が出現しているのではないかということである。
小倉充夫.1995.『労働移動と社会変動──ザンビアの人々の営みから』有信堂.
カブラル,アミルカル.1980.『アフリカ革命と文化』白石顕二・正木爽・岸和田仁訳,亜紀書房.
ファノン,フランツ.1996.『地に呪われたる者』鈴木道彦・浦野衣子訳,みすず書房.
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