京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 COSER Center for On-Site Education and Research 附属次世代型アジア・アフリカ教育研究センター
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
フィールドワーク・レポート

ネパールにおける高カースト・ヒンドゥーと先住民族の対立について ――「牛」を事例に――

写真1 トゥルン族が儀礼の際に牛肉を捧げる場所

対象とする問題の概要

 ネパールでは 1990 年の民主化まで、王制、ネパール語、そしてヒンドゥー教を 3 本柱とした国民統合政策が実施されていた。そのため、非ヒンドゥー教徒などは自らの文化・宗教実践が認められず、様々なヒンドゥー儀礼の実践を強制された。民主化以降、非ヒンドゥー教徒の存在はより積極的に認められるようになったが、改正憲法にはネパールは「ヒンドゥー教立憲君主制王国」であると書かれたままであった。憲法に信仰の自由が明記されたのは 2006 年の民主化運動を経て「世俗国家」を宣言した 2015 年憲法以降であるが、未だにヒンドゥー教で神聖とされている牛を殺すことは刑罰の対象である。このような急進的な政治的・社会的変容を経験したネパールであるが、これと同時に今まで抑圧されてきた集団が自由に個人のアイデンティティを再規定しながら維持するような、アイデンティティ・ポリティクスやナショナリズムに起因する様々な社会運動がみられるようになる。

研究目的

 本研究は、東ネパールスンサリ郡D市において、牛にまつわる社会運動と物理的対立の抑止要因について解明することを目的としている。隣国インドは、特に2014年にインド人民党が政権を取って以降、ヒンドゥー文化優位の機運が高まっている。そして、ヒンドゥー教徒が信仰の対象としている牝牛については、「牝牛保護運動」と呼ばれる自警団の活動により、合法であるにも関わらず、牛の屠畜業に関わるとされているムスリムが殺害される事例なども生じている。このように、牛という宗教的シンボルにまつわる人々の行動は暴力的になるとすら言える。しかし、ネパールにおける2023年の牛にまつわる一連の社会運動においては、SNS上などにおける暴力的な言動は見られたものの、実際に物理的暴力は生じなかった。これを受けて、本研究ではスンサリ郡D市を事例に、牛にまつわる社会運動が非暴力的に達成されたことに焦点を当て、検討する。

写真2 スンサリ郡の牛市場(毎週土曜日開催)

フィールドワークから得られた知見について

 本フィールドワークは主に東ネパールスンサリ郡と首都カトマンズでの聞き取り調査で構成された。先住民族の権利問題を主に扱っている弁護士や警察署、活動家、牛肉ビジネスに従事している人々などへの聞き取り調査を行った。また、アイデンティティにまつわる社会運動に関与しない立場を取っている人に話を聞いた。これにより、スンサリ郡D市における牛屠畜ビジネスの発展と社会運動の関係性や社会的変化、同市の地理的特殊性、そして住民同士が互いの文化を受容しあうという現実が見られた。牛畜産は現在のネパールにおいて違法ではあるにも関わらず、リスクを冒しても約20店舗ほどの肉屋が毎日牛肉にまつわる商いを行い、組織化されたと殺場も複数存在するほど、その市場規模は大きい。東ネパール全体における牛肉食文化として、丘陵部の村落においては秘密裏に処理されて食べられることはあるものの、D市ほど大きな市場を持つ都市は他にはない。また、D市周辺の都市には、(主に燻製された)牛肉が流通しているほど、その市場は必ずしもD市内にとどまっているとは言えない。
 また、D市のように牛肉食文化が日常的に人々に受容されている場所において、内部の人々による社会運動自体はあるものの、それに対抗する人々があらわれることはなく、きわめて平和な主張レベルの行動にとどまるという事実も判明した。2023年の事例のように外部の人間による対抗言説に基づいて衝突が生じたときにも、郡行政が迅速かつ適切な権力行使を行うことにより、物理的対立は免れる。
 上記のように、日常的な牛肉食文化と、社会運動が行われた際にどのように物理的暴力が抑止されるのか、という2点に注目した調査を実施した。本調査で得られた知見と、昨年のエクスプローラープログラムで得られた知見をもとに、2024年12月には博士予備論文を執筆予定である。

反省と今後の展開

 前年度の渡航と比較して、継続してネパール語の習得を試みていたことから、ネパール語を用いて日常会話を行うことや、インタビューのための質問を行うこと、簡単なインタビューなどは実施できるようになった。そして、ネパール語で質問し、その答えをボイスレコーダーに録音させてもらい、後日ネパール人の友人などに通訳してもらうという形式でのインタビュー調査も何度か実施した。しかし、調査テーマが(人によっては)繊細であると捉えられることもあるため、可能な限り自身で話を聞いてインタビューすることが望ましいが、すべてネパール語を用いた調査を行うことはできなかった。そのため、今後引き続き最優先して解決すべき課題は、インタビューできる程度の、可能な限り専門的な言葉も理解できるようにネパール語を習得することである。

  • レポート:荒木 彩陽(2023年入学)
  • 派遣先国:ネパール
  • 渡航期間:2024年7月25日から2024年10月20日
  • キーワード:東ネパール、先住民族、高カースト・ヒンドゥー、社会運動、牛

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