京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 COSER Center for On-Site Education and Research 附属次世代型アジア・アフリカ教育研究センター
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
フィールドワーク・レポート

ブータン農村開発における教育普及と今後

写真1 タシガン県内の複式学級の教室

対象とする問題の概要

 ブータンの国家政策において、初等教育の量的拡大は重要政策の一つと位置付けられてきた。国土の多くが山々に拒まれた地形であるが、それぞれの農村に小規模な学校を設置して教育機会を保障しようと努めてきた歴史を有する。このような量的拡大が一定の成果を果たしてきた一方、近年は「教育の質」向上や財政支出の効率化などを目的に農村部小規模校の統廃合を進めている。一方、ニュージーランドや日本等の文献で示されてきたように、学校には住民の交流や活動を支える機能や地域の象徴としての機能があり [Kearns et al. 2009ほか]、ESD(持続可能な開発のための教育)の観点からも地域社会の持続的発展のために教育が果たす役割は大きい。

研究目的

 前回渡航(2023年8月-2024年3月)では、農村で学校は教育機会の提供以外にも地域社会と学校の相互的な関係性を様々に構築していることを確認し、また近年は小規模校の廃校により年少児童が寮生活を余儀なくされホームシックの発生などの課題が生じていることを明らかにした。そこで本渡航は、政策資料や先行研究、報道などの資料収集、教職員、児童・生徒・学生、保護者、村人らへの聞き取りや、教育実践への参与観察などを通して、農村への教育普及の経緯と農村開発における学校教育の可能性を考察することを目的とした。

写真2 タシガン県内の小規模校でICT授業のために導入されているパソコン

フィールドワークから得られた知見について

 ブータンでの教育普及を実現した制度として、日本での先行研究では建設や運営に地域住民の労務を得るCommunity Schoolと呼ばれる小規模校の設置や [平山 2009]、寮制度の普及 [佐藤 2019]が強調されてきた。また小規模校への教員配置上の工夫として、複式指導が導入されてきた。複式指導とは、二学年以上を一学級として授業を行う指導法であり、一人の教員が同一教室で学年別に異なる内容をまたは学年間で共通した内容を指導する。同一学年しかいない教室で指導するのとは異なる指導上の工夫を要し、ブータンではオーストラリアやカナダに教員を派遣する研修プログラムがかつて行われていた [Ninnes et al. 2007ほか]。現在でも小規模校では複式指導が行われている事例があり、その指導の難しさは課題となっている。タシガン県カリン行政村のB地区では、クラスPP(5歳児学級に相当)からクラス3(小学3年生に相当)の四学年を一名の教員のみでの複式指導で教えていたが、2024年末での閉校が検討されている。複式指導は教員の負担と「教育の質」確保の面から課題とみなされており、小規模校を閉校せず維持するにはこれら課題と財政的負担がネックとなる。
 一方日本および欧米等の諸外国では、CBL(Community Based Learning)などの概念のもと、社会と連携した教育活動や課題解決型教育活動が積極的に取り組まれてきた。ブータンでも一部の学校では、地域内での農業体験や地域史の聞き取りなど、地域社会と連携したり地域社会を題材としたりする実践も行われている。また「高校魅力化」として地域資源を活かした教育活動に取り組んできた島根県海士町は現在JICA草の根技術協力事業「地域活性化に向けた教育魅力化プロジェクト ブータン王国における地域課題解決学習(PBL)展開事業」を実施しており、チュカ県内のパイロット校にて地域のゴミ問題やエコツーリズム、農産物販売促進などのテーマで生徒らが自身で課題を設定し実践活動を行うといった教育活動に取り組んでいる。

反省と今後の展開

 課題は、現地語(ツァンラ語など)運用能力の向上である。研究活動を遂行できる習熟度には至っておらず、今後学習を深めていきたい。
 ブータンにおける近年の学校統廃合の背景の一つは、複式指導の必要がなく設備整った中核校へ統合することで「教育の質」を向上させようという考えである。小規模校と中核校でどの程度「教育の質」が異なっているのか、児童の学習成果や発達・成長などの観点からより検討していく必要がある。
 日本や欧米などで地域と連携した教育活動が行われているのは、地域理解の促進や地域への奉仕活動などといった地域社会に対する貢献だけでなく、子どもたちに対する教育的効果も確認されているからである。ブータン農村においてこのような教育活動がどのような価値や可能性をもつのか、現地の教育関係者や村人らとともに今後より具体的かつ実践的に考えていきたい。

参考文献

 平山雄大. 2009. 「ブータンにおける近代学校教育の特質とその課題」『早稲田大学教育学会紀要』10: 132-139.
 Kearns, R. A., N. Lewis, T. McCreanor and K. Witten. 2009. ‘The status quo is not an option’: Community impacts of school closure in South Taranaki, New Zealand. Journal of Rural Studies 25: 131-140.
 Ninnes, P., T. Maxwell, W. Rabten, and K.Karchung. 2007. In Pursuit of EFA: Expanding and Enhancing Multigrade Schools in Bhutan. Education for All 8: 181-199.
 佐藤美奈子. 2019. 「ブータンにおいて学校寮制度が担う役割と民族言語文化の継承」『社会言語科学』22(1): 142-156.
 

  • レポート:森下 航平(2023年入学)
  • 派遣先国:ブータン王国
  • 渡航期間:2024年7月1日から2024年12月12日
  • キーワード:農村開発、複式学級、教育の質

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