京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 COSER Center for On-Site Education and Research 附属次世代型アジア・アフリカ教育研究センター
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
フィールドワーク・レポート

ベトナム・メコンデルタにおける農業的土地利用の変遷/塩水遡上・市場動向・政策的要因に注目して

塩水遡上を防ぐベンチェ省の水門

対象とする問題の概要

 ベトナムの一大穀倉地帯であるメコンデルタでは、近年の環境変化が農業システムに大きな影響を与えている。メコンデルタでは様々な環境変化が起きているが、特に沿岸部を中心に発生している塩水遡上の影響は顕著である。沿岸部やハウ川の最下流部では海面上昇により、塩水遡上が引き起こされると予想されており、耐塩性のある稲の栽培や、エビの養殖と稲作の二期作といった新たな農業モデルや土地利用計画が必要とされている(Tran et al., 2019)。さらに、ベトナム政府は、灌漑政策としてコメの生産量の増加と農家の貧困脱却を目標に掲げており(Chu et al., 2014)、環境の変化に加え、農産物の市場動向や政策的な要因によりメコンデルタの土地利用は劇的に変化していくと予想できる。その中で、各地域の環境に適し、かつ農家も十分な収益を得ることのできる持続可能な農業経営の方法を見つけ出すことが喫緊の課題である。

研究目的

 メコンデルタの灌漑政策として、コメの生産量の増加と農家の所得の向上が掲げられている(Chu et al., 2014)。塩水遡上が深刻化する中で、コメの生産量を確保するために淡水の農業用水路の建設や塩水と淡水を仕切る水門の建設が省政府の主導で進んでいる省がある一方、政府による指導が不十分で、農業経営の在り方が農家に一任されている省も存在する。農家の学歴や年齢は土地利用の変化に大きく影響し(Hanh et al., 2018)、商品価値の高いエビを違法に養殖する農家も少なくない。このように、土地利用の変遷の分析には政策や農家個人レベルの判断も考慮する必要がある。本活動では、1)衛星画像を用いた広域の土地利用の変遷の分析および2)フィールドでの省政府や農家での聞き取り調査を行った。それにより、メコンデルタ沿岸部を中心とする土地利用の変遷の概要を把握することが本研究の目的である。

メコンデルタの中心都市カントーの風景

フィールドワークから得られた知見について

 今回の調査は、8月15日から8月22日までハウザン省、バックリエウ省、ソクチャン省、カマウ省、ベンチェ省で行った。
 ハウザン省では、ビニールハウスで室温や湿度を管理する、最新鋭の設備で野菜の水耕栽培および有機栽培を行っている世帯が複数確認できた。このような世帯では、栽培過程で農薬や化学肥料を使わない「安全野菜」を売りにしていた。ハウザン省はメコンデルタの中心都市であるカントーに隣接しており、都市部の富裕層向けに単価が高く新鮮な「安全野菜」を供給していると考えられる。実際に、カントーの食料品店では安全野菜専用のコーナーが設けられていた。バックリエウ省およびソクチャン省では、稲作から商品作物の栽培に転換した事例が複数確認できた。コメの国際価格の低下によりバックリエウ省ではドラゴンフルーツの栽培を、ソクチャン省ではタマネギやロンガンの栽培を行うようになったという。バックリエウ省やソクチャン省より南西のカマウ省や周囲を河川に囲まれたベンチェ省では、塩水へのアクセスがあるため、稲作からエビの養殖への転換が確認できた。エビの養殖には土壌汚染といった環境汚染のリスクが伴うが、メコンデルタ最南端のカマウ省沿岸部では、季節に応じてエビ養殖と稲作を交互に行う環境負荷の少ない技術が確立されている。この方式では、エビ養殖により稲作に必要な養分が土壌に供給され、稲作により土壌が浄化されエビ養殖により十分な収量を上げられるようになるという相互補完的な循環が成り立っている。一方、開拓の歴史の浅いメコンデルタ東部のベンチェ省沿岸部では即効性のある化学肥料の大量投下や、稲作が義務付けられた地域での違法なエビ養殖が横行するなど、農業生産は技術的にも経営的にも持続可能とはいえない。
 本研究では、メコンデルタ各省において農家の収入増加のための、稲作から商品作物およびエビ養殖への転換の実態と課題を把握することができた。

反省と今後の展開

 今回の渡航では、8月中に8日間の現地調査を経た後、残りの滞在期間の約3か月間をベトナム語の習得に専念するという予定であったため、現地調査では通訳を挟んでの調査となった。調査中、自力でベトナム語での実践的なインタビュー経験を積むことができなかった分、来年度の調査に向けて農家の方が使うローカルな語彙や話し方を習得しなければならない。
 今回の調査では、問題意識が漠然としておりインタビューで情報を得ながら、事前に立てておくべき仮設を検証するプロセスを辿ることができなかった。加えて、インフォーマントの職業や出自を意識して、その人だからこそ答えられる話を引き出すことができなかったように感じた。次回の調査までに問題意識を明確にし、様々なインフォーマントを想定した質問を事前に準備するように心がける。
 今後の研究対象地域としては、ベンチェ省沿岸部に重きを置いて持続可能な農業経営に関する調査を行っていきたい。

参考文献

【1】C.T. Hoanh, D. Suhardiman, and L. T. Anh 2014. Irrigation development in the Vietnamese Mekong Delta: Towards polycentric water governance?, International Journal of Water Governance 2: 61-82.
【2】H. Tran, Q. Nguyenc, and M. Kervyn 2018. Factors influencing people’s knowledge, attitude, and practice in land use dynamics: A case study in Ca Mau province in the Mekong delta, Vietnam, Land Use Policy 72: 227-238.
【3】T. T. Nhung, P. L. Vo, V. V. Nghi, and  H. Q. Bang 2019. Salt intrusion adaptation measures for sustainable agricultural development under climate change effects: A case of Ca Mau Peninsula, Vietnam, Climate Risk Management 23: 88-100.

  • レポート:皆木香渚子(平成31年入学)
  • 派遣先国:ベトナム
  • 渡航期間:2019年8月18日から2019年11月3日
  • キーワード:メコンデルタ、農業的土地利用、塩水遡上、持続可能な農業経営

関連するフィールドワーク・レポート

屋台をとりまく社会関係の構築による場所の創出――福岡市・天神地区を事例として――

対象とする問題の概要  福岡市には100軒(2022年4月1日時点[1])の屋台が存在する。第二次世界大戦後に闇市の担い手として営業を開始した屋台は、その後減少の一途を辿っていた。しかし、現在、福岡市によって屋台は都市のにぎわいを作る装置と…

ジャカルタにおける都市住民の洪水対策における隣組(RT)・町内会(RW)の役割

対象とする問題の概要  世界的に都市災害が増加、激化する中、災害時の被害軽減のためには構造物対策だけでなく行政と連携した地域コミュニティレベルの防災活動が重要であると言われている[辻本2006]。ジャカルタで顕著な都市災害としては洪水が挙げ…

湾岸域内関係の変容とカタルの政治・経済

対象とする問題の概要  湾岸地域の小国カタルは、域内の大国サウディアラビアとイランに挟まれている。これは地理的な関係のみならず、政治的にも両者との関係が発生することを意味している。サウディアラビアとイランは域内のライバルであることから、一方…

レバノン・シリア系移民ネットワークにおける現代シリア難民 ――国内事例の動向――

研究全体の概要  本研究は、シリア難民のグローバルな経済的生存戦略の動態を明らかにする。19世紀末以降に歴史的シリア(現在のシリアとレバノンに相当する地域)から海外移住したレバノン・シリア系移民は、現在に至るまで自らの商才を生かして世界各地…

ナミビアにおける牧畜民ナマとその家畜との関係理解

対象とする問題の概要  ナミビアの南部には、「ナマ」という民族名で呼ばれている人々が多く生活している。彼/女らは少なくとも17世紀から現在のナミビア国内の広い範囲で牧畜を生業とする生活を送っていたが、主にドイツ統治期の植民地政策と南アフリカ…

モロッコにおけるタリーカの形成と発展(2019年度)

対象とする問題の概要  モロッコにおいては、15世紀に成立したジャズーリー教団が初の大衆的タリーカである。ジャズーリー教団は後のサアド朝(1509-1659)によるモロッコ統一に助力するなど政治的にも存在感を発揮し、現在の北アフリカ・西アフ…