クルアーン学校におけるアラビア文字教育/文字としてのクルアーンを音声と結びつける装置としてのスペリング練習の重要性について
対象とする問題の概要 本研究の対象は、クルアーン学校と呼ばれる組織である。クルアーン学校とは、ムスリムの子弟がクルアーンの読み方を学ぶために通う私塾のことである。西アフリカ各地には、このクルアーン学校が多数存在する。これまでクルアーン学校…
ケニア史を彩る国民的英雄たちについて展示する国立博物館が、ケニア共和国ナイロビ県ランガタ地区ウフルガーデンにおいて竣工し、展示場の一般公開を間近に控えている。関係者が「ヒロイズム・ミュージアム」と呼ぶ当館は、ケニア国民の中から、特定の人物を国民的英雄として選び出し、それらの人物の称えられるべき事蹟を部分的に取り上げて展示することを試みる。その試みは、ケニア国民としての誇らしさを来館者に感じさせ、国民意識を統一に向かわせる可能性を含む一方で、英雄たちの展示に対して来館者が英雄のアイデンティティや属性に偏りを見出したり反感を抱いたりした場合、民族的・地域的・政治的な対立感情を煽る危険性も内包している。博物館展示における国民性と民族性の表象の問題は、ケニアの「ヒロイズム・ミュージアム」だけのものではなく、歴史・国家・民族・政治などの人文社会科学系のテーマを扱う世界中の博物館が共有しうる重要な命題である。
ケニア最大の博物館組織「NMK(ケニア国立博物館:National Museums of Kenya)」もまた、博物館が展示を通じてケニア国民をいかにして表象するのが適切なのかという課題について、長年苦闘を繰り返して議論を重ねてきた。NMKは、ケニア全国にあるおよそ20もの博物館と数百もの遺跡・建造物を統括管理する国の機関であり、本部をナイロビ国立博物館の敷地内に置いている。筆者は、NMKの活動記録や「ヒロイズム・ミュージアム」開設事業についての関係書類にアクセスするため、NMKが有するアーカイブやレポジトリを訪れ、NMKの年次報告書などを収集する。そのほか、ケニアの博物館史を語るうえで欠かせない主要な博物館(ナイロビ国立博物館・ナイロビギャラリー・ケニア国立公文書館ギャラリー・アフリカンヘリテージハウス)などに足を運び、展示場やバックヤードを観察・記録し、NMKの現役職員や博物館関係者OBなどに対するインデプス・インタビューを実施する。調査結果をもとに、ケニアの博物館における国民性と民族性の表象のせめぎあいについて分析すること、ひいては博物館展示がケニア史やケニア国民のアイデンティティ形成に与えうる影響について考察することを主たる研究目的とする。
ナイロビにある諸博物館での現地調査と文献資料調査で得られた情報はおおよそ以下の通りである。ナイロビ国立博物館は、欧州連合の「NMK支援プログラム(通称「ミュージアム・イン・チェンジ」プログラム)」による財政的・技術的支援を受けて、2005年から2008年に開館以来最大規模の拡張改修工事を実施した。これによって、現在は展示場面積を4300㎡にまで倍増させた。2008年には「人生のサイクル」、2010年には「ケニアの歴史」という人文社会科学系の展示が増設されたが、保存管理や展示の実態などについての批判が寄せられている。「人生のサイクル」ギャラリーは、植民地期の産物である国民の民族誌的な分類に依然として依拠し、夫々の「民族らしい」工芸品を連ねるような展示になっている。そのため、「ケニア国民らしい」ライフサイクルを示すというコンセプトが来館者に伝わりづらいと批判されている。「ケニアの歴史」ギャラリーは多くの学者によって包括的ではない国家の歴史の描き方だとして批判されてきた。1992年の多党制採用以後、選挙期間中にケニア国内での民族対立や地域対立が顕在化・激化しており、選挙をめぐる暴力が絶えず懸念されているような国家において、ケニアの複雑な国民性と民族性というトピックについて展示で語ることは様々な困難を伴うことが調査を通じて観察された。
また、2010年、ケニアは新憲法を公布し、中央政府から47の県に権限・機能・資源が大幅に移譲された。地方分権化によって、いくつかの博物館は県の管轄下に置かれることになった。事実上、博物館のほとんどは依然としてNMKの管轄下にあるが、県への移管が指定された5館については、地方分権によって博物館や遺産の持続可能性が脅かされるおそれがあるとの指摘もある。例えば、県が遺産管理についての専門的な能力や開発のモチベーションを有さない場合もあり、一方で県内において有力な民族集団が自集団の仲間に先祖伝来の遺産を管理させて他のコミュニティから来た専門家を阻むような場合も想定される。博物館展示だけでなく運営の面でも、民族性が強調されることによって、ケニア国民のアイデンティティに分断がもたらされる可能性があると示唆された。
NMKの設立時から近年までの活動記録を追跡した今回の調査の結果は、ケニアにおける国立博物館群がNMKとともに歩んできたこれまでの道程と変遷を記録しケニア博物館概史を編もうとする筆者の試みに活かされるであろう。筆者は今後、ケニアの博物館史全体のなかで、NMKによる設立支援を受けている新設の博物館「ヒロイズム・ミュージアム」がどのような存在として文脈づけられるかを解き明かそうと考えている。近日中に予定されている一般公開が実現した場合、「ヒロイズム・ミュージアム」の展示場・アーカイブなどを視察して、これまで蓄積した他の国立博物館のデータと比較することも計画している。博物館のなかでケニアの国民性と民族性がせめぎあう現状に対して「ヒロイズム・ミュージアム」がいかなる展示・活動で対応を示していくかという点に注目していきたい。博物館研究という視座から、現代ケニアにおける国民性と民族性の問題について今後考察していく所存である。
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