京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 COSER Center for On-Site Education and Research 附属次世代型アジア・アフリカ教育研究センター
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
フィールドワーク・レポート

東ネパールにおける先住民族の権利運動――「牡牛殺し」に関する事件を事例に――

Rai族が宗教儀礼において牛肉を先祖(神)に捧げる場所

対象とする問題の概要

 ネパールには先住民族が存在している。その多くは元々ヒンドゥーとは異なる自らの文化や宗教を実践していたが、1768年にシャハ王が現在のネパールと呼ばれる土地を統合して以降、ヒンドゥー文化を基準とした実践が強制されるようになった。これは2015年憲法で世俗国家と規定されるまで続き、現在でも全ネパール国民に対してヒンドゥー文化を強制されている側面が残っている。その一つが「牛(牡牛・牝牛)を殺してはならない」という刑法典の規定である。しかし、今回の調査地である東ネパールには多くの先住民族が暮らしており、日常的に牛肉が消費されている現実もある。ここで、2023年7月25日に牛肉販売店の2人がネパール警察に逮捕される事件が発生した。その後2人は釈放され、8月16日にこれを祝うための宴会が行われた。これをきっかけに、ヒンドゥー過激派と先住民族の活動家がSNS上で衝突し、結果的に街に外出禁止令が出される事態にまで発展した。

研究目的

 2006年の内戦終結以降、ネパールにおける先住民族の権利運動が急進的に台頭している。その理由として、民主化や近代化、そして世俗化によって先住民族が自らの伝統・文化・宗教等の自由及びヒンドゥー文化との平等な権利を求め始めたことへの関連が考えられる。そして、この活動は死者を出すほど過激なものとなっている。先住民族の権利運動は基本的には受動的抵抗であるため、物理的暴力を用いて権利運動を実施する例は少ない。しかし、今年発生した抵抗運動だけを見ても刑法を犯すような行為は散見されており、将来的に暴力を伴う活動に発展する可能性もある。このような状況において、本研究が当該地域である東ネパールにおいて暴力抑止の足掛かりになることを期待する。

カトマンズにおける過激派ヒンドゥー活動家によるデモの様子

フィールドワークから得られた知見について

 今回のフィールドワークにおいては、主に首都・カトマンズと東ネパール・ダランにおいてインタビュー調査を行った。カトマンズにおいてはヒンドゥー活動家や7月の肉屋逮捕に関して直接関連のないムスリム活動家、クリスチャン活動家に対しての聞き取り調査を行った。ヒンドゥー活動家の多くは事件について詳しい情報を知らなかったが、逮捕者がクリスチャンであると決めつけた上で社会的調和を乱す存在として批判した。また、ムスリム活動家はこの事件に対してはコメントをしないという意思を表明し、クリスチャン活動家たちはいかなる社会構成員もネパールにおける社会的調和を乱すべきではないこと、そしてクリスチャン批判は問題を起こすクリスチャンがいることによって生じるということを主張した。
 一方でダランにおいては、事件の事実についての情報収集と、牛及び牛肉に対してどのような文化的・宗教的意識を持つのかという点に重きを置いてインタビューを行った。そして、RaiやLimbuといったダランに多く住む先住民族グループは牛肉や牛頭を宗教的儀礼の一部として使用する一方で、Tamangという先住民族グループは牛肉を食べるにとどまり、宗教的儀礼では用いないことが分かった。
 また、ダランにおいて先住民族がどのような歴史的弾圧意識を持ち、ヒンドゥー文化を基盤としている政府に何を改革として求めているのかについては、さらに詳しく調査する必要があると考える。これに加え、ダランで現在積極的に活動している権利運動団体の存在も明らかになったため、今後どのような人々が具体的にどのような活動を行っているのか、という点については更なる調査が必要である。

反省と今後の展開

 今回多くの情報を得ることができたものの、言語という側面では多くの問題が残っている。入学から3か月の学習では、現地の方々にインタビューするほどの語学力を身に着けることはできなかった。そして、現地滞在中に言語力が全く成長を見せなかったということはないものの、インタビューに足る段階には至らなかった。首都周辺でのインタビューについては通訳をお願いすることや英語話者も多く、言語力の不足が研究に影響する部分は少なかったものの、今後主な調査地にしたいと考えている東ネパールにおいては、多くの人が英語を話さないことに加え、インタビューを実施した先住民族に関する活動家の多くは第一言語が自らの民族言語であり、ネパール語ですら第二言語であると聞く。そのため、今後最も優先して克服するべき課題は、日常会話だけでなく、インタビューを実施できるレベルのネパール語力を身に着けることであると考える。

  • レポート:荒木 彩陽(2023年入学)
  • 派遣先国:ネパール国
  • 渡航期間:2023年8月4日から2023年10月29日
  • キーワード:東ネパール、先住民族、民族運動、暴力、ヒンドゥー、牛

関連するフィールドワーク・レポート

カメルーン北部・ンガウンデレにおけるウシの交易――ウシ商人の商慣行に着目して――

対象とする問題の概要  カメルーンを含む中部・西アフリカのなかでウシは重要な動産である。特にウシの交易は極めて大きな経済規模をもっている。18世紀から19世紀に、牧畜民フルベがこの地域のイスラーム国家建設の主体として立ち上がった背景には、人…

「自然-社会的なもの」としての水の利用・分配に関する研究――東アフリカ乾燥地の町における事例をもとに――

対象とする問題の概要  東アフリカの乾燥・半乾燥地域に分布する牧畜社会を対象にした民族誌的研究では、「水」は不足しがちな天然資源として捉えられてきた。そして、水不足の問題が人道的・倫理的な介入の対象となってきた。それゆえ、この地域を対象にし…

夢を奪われる在日クルド人の子どもたち――不安定な在留資格がもたらす教育への影響――

対象とする問題の概要  本研究で対象とするクルド人は、「国を持たない最大の民族」と言われる。クルド人とは、ティグリス・ユーフラテス川上流域や山岳地帯で遊牧生活を営み、独自の言語や文化を持つ先住民族である。しかし、居住域である「クルディスタン…

現代マレーシアにおける資本主義とイスラーム経済のもつれあい――イスラーム型保険を事例に――

対象とする問題の概要  私が研究対象とする「タカーフル」とは、端的に言えば「イスラームの教義に則った相互扶助の仕組み」である。私たちが一般的に思い浮かべる生命保険や損害保険といった商品に近いが、ムスリム(イスラーム教徒)が利用できるように工…

現代インドネシアにおける社会変容とイスラームの知の担い手/イスラーム的市民社会論の観点から

対象とする問題の概要  インドネシアのイスラームは、人類学者Martin van Bruinessenが「保守転化」と呼んだように、民主化以後その性質を大きく変化させた。この「保守転化」は、インドネシア社会における民主化や市場化、グローバル…

インドネシア・ケイ諸島における 伝統的水産資源管理慣行“サシ”の多角的評価/漁業協力管理体制の構築を目指して

対象とする問題の概要  近年のアジア諸国では急速な経済発展に伴い、水産資源の乱獲が非常に大きな問題となっている。水産資源の持続的利用に向けた取り組み、管理体制の構築は急務であり、国の枠組みを超えて議論が行われている。北欧諸国では、ITQ(譲…