京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 COSER Center for On-Site Education and Research 附属次世代型アジア・アフリカ教育研究センター
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
フィールドワーク・レポート

高山地帯に生息するユキヒョウ(Panthera unica)の家畜襲撃によって生じる地元民との軋轢に関する研究

写真1 リグモ村の夏の放牧地の1つ(Tarchok thang)

対象とする問題の概要

 ネパールでは、肉食動物による家畜襲撃が問題となっている。特にIUCNレッドリストで危急種に指定されているユキヒョウによる“マスキリング”(家畜の大量殺戮)が起こることで、被害は大きく、地元民との軋轢を深刻化させている。マスキリングとは、ヤギや羊などの家畜が一回の襲撃で数十頭襲われる現象であり [Kruuk1972:2]、ユキヒョウが12か国に渡って分布する中で、ネパールに集中して報告されている。牧畜業は地元民の重要な収入源であるため、マスキリングを含む家畜襲撃は、経済的な損失につながる。禁止行為ではあるが、家畜を守るために襲撃個体を報復心から密かに殺す「報復殺」が起こっている。報復殺はユキヒョウの個体数減少の大きな要因の1つにもなっている [Nowell et al.2016]。軋轢緩和のため、政府が家畜被害に遭った世帯に補償金を支給しているが、補償額や補償金の申請制度が不十分であり、依然として軋轢は緩和できていない。

研究目的

 マスキリングの発生報告の多い、ネパールのドルポ地方に位置するシェイポクスンド国立公園内のリグモ村を調査地として、研究を開始した。ユキヒョウと地元民間の軋轢を招いている家畜襲撃とマスキリングの原因を、生物学および社会学の両側面から明らかにすることを目的として予備調査を行った。
 生物学的アプローチとして、マスキリングを含む襲撃の実態を把握するために、その地域での本種の食性を明らかにすることを目的としている。マスキリングの発生する・しない地域での本種の食性の違いを分析し、家畜依存度の地域差を明らかにするため、本調査では、糞DNA分析用にユキヒョウのものと思われる糞を採取した。
 また、社会学的アプローチでは、不足している家畜襲撃やマスキリングの発生状況の基礎情報に着目して、リグモ村内の各世帯に聞き取り調査を行った。

写真2 登山中(標高約3000m地点)に発見したユキヒョウのものと思われる糞

フィールドワークから得られた知見について

 リグモ村での社会調査を通して、大きく3つの知見が得られた。
 1つ目に、家畜の管理方法や放牧スタイルを明らかにすることができた。家畜の放牧場所は、同じ村でも世帯や季節ごとで異なる放牧地を利用していることが分かった。同じ世帯においても家畜種によって異なる放牧地を利用していた。放牧スタイルについて、完全放牧は夏と冬に限られ、春と秋は村内にある複数の耕地で、放牧を行っていた。いずれの季節も世帯間で協力して家畜の共同放牧を行っていた。地元民は季節や家畜種に応じて、巧みに標高差や場所を活用していた。
 2つ目に、ユキヒョウによる“マスキリング”は、宗教的観点(ボン教)が関係していることが示唆された。聞き取り調査を通して、リグモ村におけるマスキリングの発生は、ほとんどなかった。しかし、マスキリング発生地域の人と交流のある方から、ユキヒョウがマスキリングをする理由として、宗教的概念が関係しているという情報が得られた。宗教を信仰する上で、ユキヒョウは神聖な存在であるが、悪魔がユキヒョウに憑りついた結果、家畜小屋内の家畜を大量に殺戮するという考えが存在した。“マスキリング”の被害に遭った世帯に対しては、悪事を働いたことが原因だと捉えられていた。
 3つ目に、聞き取り調査を通して、大型肉食動物であるユキヒョウ、ヒマラヤオオカミ(Canis lupus chanco)、ヒグマ(Ursus arctos)による家畜襲撃に加え、キンイロジャッカル(Canis aureus)による家畜襲撃が、地元民にとって懸念される問題であることが明らかとなった。家畜襲撃に対して政府は補償金を支給していたが、補償金制度の適用範囲は、ユキヒョウ、チベットオオカミ、ヒグマの3種に襲撃された場合のみだった。地元民は損失を補填するために、キンイロジャッカルによる襲撃の際、上記3種のいずれかの襲撃だと申請していたことが分かった。補償金制度を通して地元民と政府間の軋轢を生じている可能性が考えられる。

反省と今後の展開

 本調査で行った社会調査(半構造化インタビュー)を通して、新たな知見が得られたものの、手法として不十分だと感じた。対象者の決定やその母数等の根拠が定まらないまま調査を行っていたためである。次回のフィールドワークまでに、聞き取り調査の目的や聞き取り内容および収集方法を再検討していきたい。
 また、今後の聞き取り調査では、マスキリングと宗教とのつながりにも焦点を当てるため、マスキリング発生地域で、信仰対象の動物種に対する地元民の捉え方などの調査をしていきたい。その際に、今回の調査で明らかになったユキヒョウ以外の肉食動物と地元民との軋轢にも視野を広げ、調査を進めたい。特に、ジャッカルによる家畜襲撃については、地元民がスムーズに補償金を受給できるように、補償金制度を見直す必要がある。ジャッカルについても生物学的及び社会学的調査を行い、家畜襲撃による地元民との軋轢緩和に向けた研究を展開していきたい。

参考文献

 Kruuk, H. 1972. Surplus Killing by Carnivores, Journal of Zoology 166(2): 233-244.
 Nowell, K., J. Li, M. Paltsyn & R. K. Sharma. 2016. An Ounce of Prevention: Snow Leopard Crime Revisited. Cambridge: TRAFFIC.

  • レポート:田中 香帆(2023年入学)
  • 派遣先国:ネパール
  • 渡航期間:2024年10月10日から2024年12月21日
  • キーワード:肉食動物、 家畜襲撃、補償制度、軋轢、宗教的概念

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