京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 COSER Center for On-Site Education and Research 附属次世代型アジア・アフリカ教育研究センター
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
フィールドワーク・レポート

東南アジアにおけるプラナカン・インディアンの研究/シンガポールを拠点として

マラッカのガジャ・ベラン地区。ガジャはゾウを指し、地区の入り口となるゲートのモチーフにも用いられている。奥にはヒンドゥー教寺院と博物館がある。

対象とする問題の概要

 プラナカン・インディアンは、15世紀頃マラッカ王国統治下において、南インドからのインド系商人と現地女性(マレー人、華人等)との婚姻によって誕生したとされる。イスラーム勢力の拡大や、ポルトガル、オランダ、イギリス、日本の占領でその地位を脅かされながらも、彼らはヒンドゥー教信仰を固守した。マラッカのガジャ・ベラン地区は、オランダによって移住させられて以来、彼らが集住し、現在もヒンドゥー教寺院や博物館が保持され、教育や就業のために離散が進む彼らの拠り所となっている。先行研究は、祭礼や言語、観光に関するもの等があるが数は少なく、各国の占領がプラナカン・インディアンに与えた影響についての歴史的研究なども期待されている。
 マレー人、インド人、華人の要素を取り入れて生きるプラナカン・インディアンは、いかにそのアイデンティティを保ち、また他者とどのような関係を築いているのだろうか。

研究目的

 今回の渡航では、19世紀後半から多くのプラナカン・インディアンが移住したシンガポールを拠点に調査を行った。まず、曖昧となっているプラナカン・インディアンの定義や、その別称チッティ・ムラカとの相違点を探った。さらにプラナカン・インディアン協会はなぜシンガポールで設立されたのか、その意図や背景、活動内容を探った。またシンガポールのプラナカン・インディアンが築く他者との関係を、マレーシアのプラナカン・インディアン、他のプラナカン [1] 、インド人等との関わりのなかから探った。これらを明らかにするため、プラナカン・インディアン協会等を訪れ、聞き取り調査や資料収集を行った。


[1] 域外からの外来者(主に男性)と在地住民(主に女性)との間に生まれた子孫のことを一般にプラナカン(peranakan)と呼ぶ[山本2008]。プラナカン・インディアンの他に、プラナカン・チャイニーズやユーラシアン、ジャウィ・プラナカンなどが挙げられる。

シンガポールのインド人街にある、とある厨房。バングラデシュ等からの出稼ぎ労働者に振る舞う食事を、シーク教徒のシンガポール人と準備中。

フィールドワークから得られた知見について

 プラナカン・インディアンとは誰か。チッティ・ムラカのジェラルド氏によれば、プラナカン・インディアンで今日共有されている特徴として必須の3項目(タミル人の子孫、マレー、華人、他の人との混血で母系制、ルーツはマラッカ)と、推奨される3項目(ヒンドゥー教、独自の文化と社会実践、マレー語)がある[ジェラルド2018]。特に若い世代は後者を満たさない者も多い。さらにプラナカン・インディアンのなかで、ヒンドゥー教徒であれば、チッティ・ムラカと称されることが明らかになった。
 各個人がアイデンティティとして捉えるものは多様で、ヒンドゥー教、ルーツはマラッカ、マレー人、タミル人、華人の要素を取り入れた日々の食事や服装、言語等が挙げられた。
 協会によるとシンガポールのプラナカン・インディアンは約5000人だが、さらなる調査が必要である。
 またマレー人など現地女性はインド社会で受容されなかったため、シンガポールのプラナカン・インディアンはそのルーツをマラッカであると捉え、祭礼の際にもそこを訪れていた。
 現在、非プラナカン・インディアンとの婚姻や改宗、経済的格差拡大、世代交代や離散に伴うアイデンティティの希薄化が危惧される。また、シンガポールのインド人、マラッカの近隣住民の間での彼らの知名度は低い。
 そうした状況を踏まえて協会は設立され、博物館での展示やシンポジウムの開催、マレーの音楽をインドの楽器で演奏したCD作成や、オーラルヒストリー収集、コミュニティデータベース作成、書籍の出版支援をしている。
 またかつては他のプラナカンとの日常的な交流が盛んであったが、現在はイベント等での交流に留まっているようだ。協会長婦人は華人であり、旧正月を祝うパーティーには親戚や、協会長の経営する会社の主にインド人の社員が集った。互いを尊重し、宗教や人種を超えて交流する様子が垣間見られた。

反省と今後の展開

 協会訪問のための唯一の手掛かりである住所を辿り、開いた扉の先にあったのは、古びた映画館。聞き込みを続け彷徨うこと数日、協会長の姿は自身の経営する会社のオフィスにあった。突然の訪問にも拘わらず、インタビューに応じ、パーティーに招いて下さった協会長や、協力していただいた全ての方々に感謝したい。
 また、パーティーを後にしてマレーシアに到着した翌朝、プラナカン・インディアンの祭礼を堪能するはずであった報告者は、病院にいた。骨折が発覚し入院生活となったが、国内外から集う多民族・多宗教の患者や見舞客、地元のプラナカンの方々から貴重な情報を得ることができた。
 帰国が早まり、“第2”の調査地であったシンガポールを中心に振り返り、情報収集を進めると、その多民族を統治する政策は、オランダのマラッカ統治と重なる部分も多いことに気付いた。さらに探り現代の多民族共存を考える上での参考にしたい。

参考文献

【1】山本博之.2008.「プラナカン性とリージョナリズム―マレーシア・サバ州の事例から」『地域研究』 8(1), 52-69, 地域研究コンソーシアム.
【2】Gerald, F. Pillay. 2018. The Chitty Melaka Story. Peranakan Indian(Chitty Melaka) Association Singapore, MLA Pte Ltd, Singapore.

  • レポート:柏 美紀(平成31年入学)
  • 派遣先国:シンガポール共和国
  • 渡航期間:2020年1月22日から2020年2月2日
  • キーワード:プラナカン・インディアン、アイデンティティ、共存、シンガポール、マラッカ

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