沖縄県における「やちむん」を介した人とモノの関係性
研究全体の概要 沖縄県で焼物は、当地の方言で「やちむん」と称され親しまれている。県の伝統的工芸品に指定されている壺屋焼を筆頭に、中頭郡読谷村で制作される読谷山焼など、県内には多種多様な工房が存在し、沖縄の焼物は県内外を問わず愛好家を多く獲…
ナミビア南部に主にナマ語を話す人々が生活する地域 がある [1] 。この地域は非就業率と貧困率が高く、多くの非就業者は収入のある者や年金受給者と共に生活し、その支援を受けている。1990年代初めに地域内の一村で調査を行った人類学者のKlocke-Daffaは、村ではSahlinsの言う「一般化された互酬性」を通して人間関係が維持されており、その互酬性を成立させる、社会的な連帯を利己的な考えよりも優先させる規範意識が存在すると述べた。そして、その互酬性と規範意識は貧困者の生活の救済に繋がっていたという[Klocke-Daffa 2001]。私は前回この地域で行った調査において、そういった規範意識の存在を認識しつつも、ある非就業者の男性からは「生活の支援をしてくれている親戚家族から与えられる食事に意図的に汚物が混ぜられている」という話を聞いていた。この地域の人々が、貧困という状況の中、利他性を重視する道徳規範の裏で実際に何を行っているのかについては未だ詳しく明らかになっていない。
[1] カラス州とハーダップ州の一部。国から民族集団ナマの“Communal Area”として定められている。
今回の調査では、主に非就業者とその生活の支援者との間の軋轢や衝突を理解する事を目指した。それによって、この地域の互酬性についてのより深い理解が可能になると考える。調査地では、①前回調査時に出会った収入の無い男性の経験とその解釈についての聞き取りと、②非就業者と支援する家族との生活の参与観察を行った。
①前回の調査で出会ったその男性(H.T)は、2014年から親戚家族と生活している。前回調査時に聞いた話について、彼は親戚から食事の載ったお皿やコーヒーや紅茶の入ったカップを与えられた時、声のようなものが聞こえたと話した。それは、例えば、「おまえの食べ物に精液を入れておいた」「おまえのカップに血を入れておいた」といったものである。そして、彼はそれらを味覚で感じたのだという。その声は、彼の中に蓄積していき、フラストレーションを溜め、徐々に「他人が体に入り込んできたかのように」自分の感情や行動を制御できなくさせると話していた。
今回話を聞いてみて、前回(2017年)と現在とで状況が変化していることがわかった。彼は現在、状況が良くなり、声が聞こえていたのは過去の話だったと述べた [2] 。前回は「親戚家族は常に自分の事を精神的に圧迫しようとしている」と話していたが、今回、その声は、自分が支援を一方的に受けている状況や相手の表情からネガティブなサインを読み取っていた事からもたらされていたのではとも考えるようになっていた。
②この地域では牧畜が行われており、非就業者が親戚の家で牧畜の手伝いをする代わりに、寝床や食事などの支援を受けて生活する事がある。こうした状況下にある非就業者と親戚家族との間ではしばしば軋轢や衝突が生じる事がわかった。まず、H.Tは以前、別の家 [3] で牧畜の手伝いをしながら生活をしていたことがあったが、ある時、①の時と似たように食事に汚物が混ぜられていると感じ、手伝いを辞めその家を出てしまったという。また、私がホームステイしていた家でも、一人の非就業者が牧畜の手伝いをしながら生活をしていたが、徐々に家族側も非就業者側も私にお互いの愚痴をこぼすようになり、結局その非就業者は追い出される事になった。その隣家も同様の状況であったが、そこでは非就業者が手伝いを辞め、出て行ってしまった。
[2] 前回調査の数ヶ月後から、この男性は家畜泥棒の罪で8か月間留置場に入っていた。前回から今回の調査までの間のほとんどの期間を、彼は親戚家族とは離れて生活していたという事情もこの変化に影響していると思われる。
[3] 現在の親戚家族の家では、牧場が遠くにあるためか、日常的に牧畜の手伝いはしていなかった。
H.Tの経験は、子供の頃に彼が祖母から聞いたという話と類似している。その話とは、「親戚に頼って生活をしていたある男性が、ある日、お腹の中にできものが出来て亡くなった。それは、親戚家族が彼の食べ物に「何か」を死ぬまで入れ続けていた事が原因である。」というものである。彼の祖母はさらに「そういう時には、誰かが話している声が聞こえる」とも話していたという。彼は祖母の話や自らの経験から、この地域では古くから人々がお互いにアドバンテージを取り合い、足を引っ張り合っていると解釈していた。ここまで、非就業者とその生活の支援者との関係に注目して述べていったが、実際にはその両者に限らず、人々はしばしば他者がアドバンテージを取ろうとしていると感じたり、足を引っ張っていると感じたりしている。妖術、就業者に対する嫌がらせ、家畜泥棒、嫉妬…といった話もいくつか聞いていたので、今後はそれらについての理解に努める。
【1】Klocke-Daffa S. 2001 “Wenn du hast, mußt du geben”. Soziale Sicherheit im Ritus und im Alltag bei den Nama von Berseba/ Namibia. Studien zur Sozialen und Rituellen Morphologie 3. Münster: Lit.
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