ケニアにおける国民統合を求めて――SAFINAとPaul Muiteの歩みとその思想――
対象とする問題の概要 ケニアにおいて従来は流動的であった各民族集団への帰属は、イギリスによる「分割統治」を基本とする植民地支配と独立後の特定民族の優遇政策、特に不平等な土地分配を経て、固定性と排他性を帯びるようになった。こうした状況におい…
インドネシア政府はこれまで多種多様な農村開発プログラムを実施してきた。特にスハルト政権下では、例えば稲作農業の技術的向上を目的としたビマスプログラムのように、トップダウンによる開発政策がおこなわれてきた。しかし、こうした中央政府によるトップダウンによる政策の実施は、その非効率性、不平等性により多くの批判がなされてきた。民主化以降、インドネシア政府はスハルト政権時代の反省から、ボトムアップ、そしてコミュニティベースによる開発政策の実施を目指し、その過程で地域住民に対して灌漑施設の維持管理権限の移管がおこなわれてきた。こうした転換の中で、地域住民による共有資源管理の重要性がより一層強まっている。
これまで、地域住民による共有資源管理においていくつかの問題が指摘されてきた。例えば、Hardin[1968]は共有資源管理における搾取の危険性を指摘し、コミュニティよりも政府による管理がより効率的であると主張した。しかし、1990年代以降、Ostrom[1990]が指摘したように、コミュニティによる共有資源管理が十分に可能であるとする認識が強まっている。こうした地域住民による共有資源管理において、その管理方法及び特徴は当然ながら地域ごとに異なるものである。これらをふまえて、本研究の目的は、インドネシア中部ジャワ農村地域において、地域共有資源である灌漑設備が住民によってどのように管理・維持されているのかその特徴を明らかとし、またこうした共有資源管理に民主化及び地方分権化による社会経済変化がどのように影響しうるのかを考察することである。
今回の調査では、中ジャワ州プマラン県に位置する農村を調査対象地域とした。そこで村役人に対するインタビュー調査に加え、住民、特に農民の人々に対して調査票を用いた世帯調査を実施した。その結果、調査村における灌漑管理は、インドネシアにおける伝統的相互扶助慣行であるゴトンロヨンをもとに、1990年代以降の政府から住民へと資源管理の権限を移行する政策の転換、民主化や地方分権化に伴う社会経済変化に対応しながら灌漑管理における労働力確保に成功していることが明らかとなった。これには、より住民間の社会関係が強い隣組(Rukun Tetangga)といった範囲から灌漑管理活動への参加者を選ぶことでフリーライダー問題のリスクを軽減していること、また特に民主化以降著しい非農業世帯や多就業世帯の増加に対して、忙しく管理活動への参加が難しい人に代わって金銭や米を支払うことで代わりの参加者を確保するといった柔軟な対応をとることにより、労働力の確保に成功していることが明らかとなった。加えて、これには近年の村落における開発予算の増加によって管理活動に関わる資金面での住民の負担を軽減し、より管理活動参加への障壁を低くしていることも影響していると考えられる。
今回の渡航では、主にインドネシア語を用いて世帯調査を実施した。しかし、調査村において日常のコミュニケーションで使用されている言語はこの地域の地方語であるジャワ語であった。このため、調査時には特に高齢者を中心にインドネシア語を理解できない住民と遭遇する機会がいくつか生じた。そのため、世帯調査を実施する際、インドネシア語とジャワ語を話すことのできる村役人などに通訳をお願いし、住民に質問をおこなう必要があった。しかし、私のインドネシア語の理解力不足、そしてジャワ語の未習得により、意図した質問と回答を得られない場面が多く生じた。このため、今後はインドネシア語能力のさらなる向上に加えジャワ語の習得をおこなう必要がある。今後の展開としては、今回の調査により得られた世帯調査のデータ集計を行い、先行研究との比較も交えつつ整理をおこなう予定である。これらを踏まえ、博士予備論文の執筆をおこなう。
【1】Hardin, Garret. 1968. The Tragedy of The Commons. Science, 162: 1243-1248.
【2】Ostrom, Elinor. 1990. Governing The Commons: Evolution of Institutions for Collective Action. Cambridge: Cambridge University Press.
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