京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 COSER Center for On-Site Education and Research 附属次世代型アジア・アフリカ教育研究センター
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
フィールドワーク・レポート

宗教多元社会における政治的意思決定/レバノンにおける公式・非公式なエリートの離合集散

首相府での「レバノン-パレスチナ対話委員会」の会合(筆者撮影)

対象とする問題の概要

 筆者は2017年7月4日から7月26日にかけてレバノン政府によるパレスチナ難民政策に関する調査を行うために、レバノン共和国においてフィールド調査を行った。レバノンは第1次大戦後の「中東諸国体制」の形成による地域的状況と、国内での民主主義体制・自由主義経済の下、独立以来、政治的安定と経済的繁栄を誇った。また、15年に及ぶ内戦と、その後のシリア軍の駐留を経て2005年に主権の回復を果たした。このような内憂外患に彩られるレバノン政治において、各々の宗教・宗派を代表する議員は、自らの所属する集団からの支持を調達するために、断続的な合従連衡を繰り返している。そこでは宗派的利益を体現した議員たちが議会において対立をし、「公式制度」としての議会が紛糾するのに対して、非公式な制度を通じた政治エリートの協調も見られ、そのことは本研究が扱う「パレスチナ人難民問題」において顕在化したといえる。

研究目的

 本研究の目的は、パレスチナ人難民政策を事例として、レバノンにおける政策決定過程を詳細に分析し、18の公認宗教が共存する宗教多元社会での権力分有構造の実際の働きを明らかにするものである。
 比較政治学においてレバノン政治は、レイプハルトによる多極共存型デモクラシーの好例とされ、宗教による社会的亀裂を抱えながらも、安定的な政治運営がなされていると評価された。それを可能にするシステムは独立時に暗黙に了解された宗派ごとの権力分有体制にあり、内戦後に部分的な修正がなされた。また、中東地域を扱った政治体制論の視点からは、君主制でもなく、権威主義的な共和制でもない政治体制であるがゆえに比較研究が手薄である。さらに内戦前と後のマクロな政治体制の変化に多くの焦点があてられる一方で、ミクロな視点からエリートの政策をめぐる協調と対立、すなわち政策立案から立法までを含む政策決定過程が実証的に分析されてこなかった。

「レバノン-パレスチナ対話委員会」現委員長と筆者(筆者所収)

フィールドワークから得られた知見について

 以上の点を踏まえて、2005年に首相府の下に設置された「レバノン-パレスチナ対話委員会(LPDC)」に着目し、当該委員会の発行する資料の収集を行い、聞き取り調査では当該委員会によって設置された主要政党の議員で構成される「パレスチナ人難民問題ワーキンググループ」の関係者を対象とした。
 レバノンのパレスチナ人難民政策の特徴は2005年を分水嶺として大別できる。2005年より前は個々の宗派・政党がそれぞれパレスチナの政党との関係を構築し、レバノン政府として統一的な政策はなかった。しかし、2005年のシリア撤退によりレバノン政治が主体的に動ける状態になったことを機に、内戦の1つの原因とされるパレスチナ人難民を「コントロール[Lustick:1979]」するという機運が高まった。その背景には3つの理由がある。1つ目は中東和平プロセスの停滞により短期的なパレスチナ難民の帰還の目途が立たないという国際的要因と、2つ目にパレスチナ人難民キャンプが治外法権の状態になっており、レバノン軍の介入を妨げ、武器の流入とイスラーム過激派の温床になっていることがある。そして2つ目に関連して、3つ目に、内戦の原因の1つともいわれるパレスチナ人難民と、宗派・政党別の断片的な関係ではなく、レバノン政府としての公式な関係を構築することにより、緊急時のホットラインを作りたいという思惑がある。
 2005年以降、2006年にイスラエル-ヒズブッラー戦争、2007年にナハル・アル=バーリド難民キャンプでのイスラーム過激派とレバノン軍の衝突、2008年には国内の宗派対立に伴う紛争などの不安定要素を抱えながらも、2016年にはLPDCの主導により統一的なパレスチナ難民政策の素案が発表された。この案の起草にかかわった専門家(官僚)と交渉に参加した有識者(研究者および政治家)から詳細な情報を聞き取ることによって、なぜパレスチナ難民政策では合意に至ることができたのか、という論証するためのデータを入手することができた。

反省と今後の展開

 今回の調査では、宗教多元社会における政治的意思決定を明らかにするために、レバノンの政治エリートによるパレスチナ人難民政策の決定に関わる非公式な制度に着目した。今回の反省点は、3週間という限られた時間の都合上、上記ワーキンググループに参加した政党の議員全員には聞き取り調査を行うことができなかった。政策の合意が取り付けられた反面、一部留保を示している政党もあり、完全な合意でないという点をどのように評価するかは今後の課題としたい。また、パレスチナ人難民とレバノンとの特殊な関係性を考慮した場合に、数ある政策の中の一つとして「パレスチナ難民政策」を捉えることの限界を感じた。このことはレバノンのパレスチナ人難民政策を中東および欧米との国際関係においてとらえる必要性も感じさせた。

参考文献

【1】Lustick, I. 1979. Stability in Deeply Divide Societies: Consociationalism versus Control. World Politics31 (3): 325-344.

  • レポート:岡部 友樹(平成28年入学)
  • 派遣先国:レバノン共和国
  • キーワード:宗教多元社会、公式・非公式な制度、政治エリート

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