京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 COSER Center for On-Site Education and Research 附属次世代型アジア・アフリカ教育研究センター
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
フィールドワーク・レポート

イブン・アラビー学派の思想史的展開――前近代インドを中心に――

アリーガル・ムスリム大学の正門

対象とする問題の概要

 私はスーフィズム(イスラーム神秘主義)、特に16,17世紀南アジアで活躍したMuḥibb Allāh Ilāhābādī (ムヒッブラー・イラーハーバーディー)(1587/88-1648)のイスラーム神秘主義思想を研究している。イスラーム神秘主義思想において、Ibn ʿArabī(イブン・アラビー)(1165-1240)に端を発する「存在一性論」という代表的な思想があり、この思想潮流は南アジアにおいてもみられるが、南アジアにおける「存在一性論」研究においては下記2点の特徴が指摘されることが多い。ひとつは、南アジアの存在一性論者のほとんどが、イブン・アラビーの著作を実際に読んでいなかったことであり、もうひとつは、南アジアの存在一性論研究は今なお概説にとどまっており、各思想家の思想内容にまで踏み込んで論じた研究が少ないことである。この点において、イブン・アラビーの代表著作を読んでいたイラーハーバーディーは注目に値する思想家であるとともに、彼の思想内容についての個別的研究が期待されている状況である。

研究目的

【研究の主目的:イラーハーバーディーのテキストの収集】
【研究の副目的:研究ネットワークの構築】
 イラーハーバーディーの著作のほとんどは未だ写本の状態で南アジア各地に保管されており、そのほとんどがオンライン公開されていないため、今回の調査では、実際にインドを訪れ、イラーハーバーディーの写本を撮影し、テキストを収集することを主目的としていた。今回の調査で訪れたのは、デリー・アリーガル・アッラーハーバードの3か所である。アリーガル・ムスリム大学のモーラーナー・アーザード図書館と、アッラーハーバード所在のイラーハーバーディーを祀った宗教施設(ハーンカー)に併設された図書館で、写本データの収集をおこなった。また、デリーにおいては、現地でのみ買うことのできるイラーハーバーディーの刊本を購入するとともに、その著者を訪ねて研究についての議論をおこなった。

アッラーハーバードのシャイフ・モスク

フィールドワークから得られた知見について

〇写本の探索・収集
今回の調査を通じて、自身の研究に必要な写本を取得するための一連の作業を実体験することができた。なお、実際に現地に行って初めて分かったことは、目録(紙・Web問わず)に記載された写本情報と実際の写本の内容が一致しないことがあったり、コピーや電子データの取得ができず、現地での筆写のみが認められている写本が存在したりすることである。そのような事態に遭遇した場合、自分が取得を計画していた写本をあきらめて、現地において研究テーマを急遽変更したり、その写本を書き写すために現地での滞在日数を増やしたりする必要が出るかもしれない。フィールドワーク中は、臨機応変に対応する心構えと日程面および金銭面での余裕を常に持っておくとともに、不測の事態に備えて、常に指導教員と相談・連絡できる環境を整えておくことが大切だと痛感した。
〇刊本の探索・収集
刊本は主に書店および図書館で手にすることができるが、上記の内容をふまえ、ここでは書店での刊本購入について述べたい。私が今回調査して得た印象としては、インドの書店は特定の内容・言語に特化した小規模のものが多い。店頭・書庫にない書籍は、店主に紹介された別の書店を訪ねるか、日数をおいて取り寄せてもらうことになる。そのため、目当ての刊本がある場合、その書店がある街の滞在期間における早い段階で書店を訪問することが肝要である。
〇研究ネットワーク
今回の調査で、私の研究と関連するテーマ(上記のキーワードで掲げたもの)の研究者を歴訪したが、「君の今後の研究のために、あの先生に会うとよい。著名で多忙な人だけど、私から紹介されたといえば、必ず時間を割いてくれるはずだ」といった具合に話が進むことが多々あった。このことを通じて、研究者として生きていくうえで、真摯に研究に向き合い、実績を重ねることはもちろんだが、人と人との繋がりを活かすことも重要だと学んだ。

反省と今後の展開

【反省】
〇テキストの収集
写本および刊本の収集において、図書館職員や書店の店主と相談しながら調査を進めることがあったが、彼らの母語であるヒンディー語を使用した方がスムーズに事が運ぶと感じた機会が多かった。次回のインド調査までにヒンディー語を学ぶようにしたい。
〇ネットワークの構築
今回の調査では、どの研究者に会うかは事前に決めておらず、ある研究者に会ったのち、その方に紹介していただいた研究者を訪ねるということを繰り返していたが、次回のインド調査時には、現地でどの研究者に会うべきかを事前に調べるようにしたい。
【今後の展開】
〇写本の読解
今回の調査で収集した写本に記載されたイラーハーバーディーのテキストを、2022年度後期に読み解いていく。この読解の過程において、イラーハーバーディーの存在一性論思想の詳細な理解とともに、来年度に提出する博士予備論文で主に論じるテーマを構想したい。

  • レポート:森口 遥平(2022年入学)
  • 派遣先国:インド共和国
  • 渡航期間:2022年8月13日から2022年9月17日
  • キーワード:イラーハーバーディー、存在一性論、スーフィズム、ムガル帝国

関連するフィールドワーク・レポート

食料安全保障政策に対する村落社会の反応 /エチオピア・オロミア州の事例

対象とする問題の概要  エチオピアでは干ばつ等の発生による食料不足の事態が頻繁に起こっており、これに対し政府は2005年から食料安全保障政策としてプロダクティブセーフティネットプログラム(以下PSNP)を実施している。PSNPは食料が慢性的…

山形県朝日町における自然資源管理と超自然的存在 ――中東・イスラーム世界との比較に向けて――

研究全体の概要  本研究は、山形県朝日町O地区における神池A沼と地域住民との間の宗教的な関係性を明らかにしたうえで、O地区集落民の生業である農業と、観光資源としてのA沼の浮島の共的な維持管理において、信仰や超自然的な存在がどのように機能して…

現代インドネシアにおける穏健イスラーム概念の諸相――スーフィズム・タリーカに着目して――

対象とする問題の概要  イスラーム過激派や急進派が台頭したことを背景に、イスラーム世界において「穏健イスラーム」は、国家政策や国際関係における重要なキーワードとして用いられてきた。インドネシアでは、民主化以降、イスラーム復興が同時に進行する…

現代インドにおけるヒンドゥーナショナリズムの高揚とムスリム社会の動態

対象とする問題の概要  インドは独立以来世俗主義を国是とし、多民族、多宗教、多言語国家である。この国家観を多くのムスリムが信じたことで、パキスタンとの分離独立を経た後でもなお国内に多くのムスリムが残り、ヒンドゥー国家でありながら現在でも世界…

イスラーム経済におけるモラリティの理念と実践――マレーシアを事例として――

対象とする問題の概要  現代マレーシアは、1980年代以降、政府の強力なイニシアティブを背景に、イスラーム金融先進国としての道を歩んできた。一方、イスラーム経済の中での金融分野への過度な関心の集中は、イスラームの理念からの乖離として批判の対…

ベナンにおける教師雇用の現状 /Abomey-Calaviコミューンの小学校の事例より

対象とする問題の概要  1990年に国連が「万人のための教育」を提起して以来、初等教育の拡充に向けた取り組みが世界的に続けられてきた。調査国ベナンでも2006年、「教育セクター10カ年計画2006-2015」(以下PDDSE)に基づき、初等…