アゼルバイジャンにおける国家によるイスラーム管理
対象とする問題の概要 アゼルバイジャンにおけるイスラームは、国家によって厳格に管理されている。具体的には、政府組織である宗教団体担当国家委員会、政府に忠実なウラマーによって結成されたカフカース・ムスリム宗務局がイスラーム管理を行っている。…
カンボジアは東南アジア最大の淡水湖であるトンレサープ湖を擁し、漁業はカンボジアの生態、社会、文化に密接に結びついている。1990年代の復興を通して、圧縮された近代化を経験しているカンボジアにおいて、漁業もまた急速な近代化を経験し産業的養殖漁業 が急速に拡大している。本調査では、養殖生産量のもっとも多いプノンペン近郊において養殖漁業がどのように行われているかを明らかにするためにインタビュー調査を行った。
カンボジアの養殖漁業は、近隣諸国特にベトナムとの関りが強いことが明らかになった。稚魚や餌はベトナムから輸入され、また輸入や流通を仲介しているのもベトナムと関りのあるカンボジア在住者であった。カンボジアの養殖漁業の急速な拡大がどのようして可能になっているのか、そしてカンボジアの生態、社会、文化にどのような影響をもたらしているのか、今後の調査につながる手がかりを得た。
本調査では、近年養殖漁業が急速に発展しているカンボジアにおいて養殖漁業がどのように行われているのか、その実態を明らかにすることを目的に調査を行った。カンボジアは東南アジア最大の淡水湖であるトンレサープ湖を擁し、漁業は生態、社会、文化に根付いている。しかし近年、環境変化や資源状態の悪化などにより漁獲漁業の漁獲量は伸び悩んでいる。一方で人口増加や外貨獲得のために水産物の需要は増加している。
漁獲漁業の生産量が頭打ちになる中で、増加する水産物需要を満たすためにカンボジア政府は「持続的な漁業」をスローガンに養殖漁業の推進を図っている。実際、カンボジアにおける養殖漁業の生産量は、2000年から2020年の20年間で約27倍になっている。政府は今後も生産量を増やし、将来的には外貨獲得のための輸出を考えている。本調査では、急速に拡大しているカンボジアの養殖漁業の実態を明らかにするために調査を行った。
調査地は、カンボジア国内において最も養殖漁業生産量の多いプノンペン市近郊に位置する、プノンペン市Preak Pnov町(P町)である。P町はプノンペンから30kmほど離れた町であり、国道5号線に沿って11の養殖漁業者が密集している。近くにはプノンペンでも最大級の魚市場と水産物ディストリビューションセンターがある。
・調査地で行われていた養殖漁業
聞き取りを行った養殖漁業者は2つの形態で養殖漁業を行っていた。①稚魚を仕入れ、最長2週間程度養殖池で保管し、稚魚の状態で販売する。②稚魚を仕入れ、市場サイズまで育て、仲買人やマーケットに販売する。調査地の養殖漁業者は、①の形態を主に取り扱っていた。養殖池の水は天水によって十分に賄われていた。
まず①の形態がどのように行われているかを概説する。幅2m奥行3m深さ1mほどにネットで区画分けされた区画に稚魚を魚種別に保管し、最低限の量の餌を与えていた(1日1回~2日に1回)。取扱い量が多い魚種はPangasius lamaudii(英名:Pangasius)、Barbonymus gonionotus(英名:Silver barb)、Channa micropeltes(英名:Snakehead)であった。顧客が希望すれば他魚種についても稚魚を輸入し販売する。主な販売先は、プノンペン近郊やシェムリアップ州やポーサット州などの地方州である。
次に②の形態では、まずは①の形態と同様の区画に稚魚を入れ、1日2回餌を与える。成長の度合いによって餌の量や大きさを変え、最終的には1ha程度の大きさの池に魚を移して、市場サイズまで育成する。販売は魚市場やディストリビューションセンターの仲買人に販売する。
・ベトナムと密接に関わっているカンボジアの養殖漁業
カンボジアの養殖漁業は、隣国特にベトナムと密接に関わっていることが分かった。稚魚は養殖漁業者がベトナムから輸入している。飼料に関しても、ベトナム製の者が大半であった。プノンペン近郊の養殖漁業者は、魚を育てるという養殖漁業というよりも、養殖漁業産業のなかで稚魚や餌の流通を担っていた。
今回の調査では、ベトナムから輸入された稚魚や餌がカンボジアの地方州に流通し養殖し販売するというカンボジアの養殖漁業の流れの中で、ベトナムからカンボジア地方州への流通を担っている養殖漁業者を対象にインタビュー調査を行った。今後は稚魚がカンボジアの地方州においてどのように養殖されているのか、そして販売・流通しているのかを明らかにしたい。
また、今回調査を行った養殖池の大半において清掃が行われていなかった。ある養殖池では、餌や魚の死体などが堆積し、創業時には3mだった深度が調査時は1m程度であった。魚の生存率や土壌への環境汚染などが懸念される。
Copyright © 附属次世代型アジア・アフリカ教育研究センター All Rights Reserved.