異宗教間結婚問題の現状/ヒンドゥー・ムスリム夫婦への聞き取りから
対象とする問題の概要 インドでは独立以後、ヒンドゥーとムスリムの対立が時として陰惨な暴力的対立に発展してきた。しかし、そのような中で暴力や迫害の対象とされながらも、様々な理由からヒンドゥー・ムスリム間で結婚した夫婦が存在してきた。そもそも…
戦争モニュメントや戦争を扱った博物館というのは、世界中に存在する。それらは、概して加害/被害の二項対立構造を伴っている。よって、加害者でも、それに対応する被害者でもない者たちの「戦争」経験が看過されてきたのではないだろうか。
本研究では、第二次世界大戦下において、日本軍の駐屯地となったタイ国メーホーンソン県クンユアムを調査地とする。1944年3月、日本軍およびボース率いるインド国民軍による、インド東部インパールへ侵攻することを目的とした作戦、インパール作戦が実施される。作戦失敗後、敗走してきた兵たちはこの地を訪れ、住人たちの手厚い保護を受けた。クンユアムの人々は日本の兵士を通して、「戦争なるもの」の一部を捉え、感じたはずだ。戦争モニュメントを通して受け継がれる「戦争」記憶のあり方を捉えることにより、これまで見過ごされてきた「狭間」に位置する人々の「戦争」を明らかにしたい。
本研究は、クンユアムに存在する戦争モニュメントを対象として、第二次世界大戦の記憶がどのように継承されているのかを明らかにするものである。
まず、ミュージアムや慰霊碑などの戦争モニュメントを外側から分析する。つまり、モニュメントが据えられている場所、使われている材料、デザイン、説明文、ミュージアムであれば展示物等である。
次に、モニュメントに内在する歴史、「戦争」記憶の仕方の変遷を明らかにする。具体的に、建てられた経緯、時期、建てた人物や団体、補修の過程、コンセプトの変遷などだ。
最後に、モニュメントと地元住人との関係性を明らかにする。モニュメントの管理・維持にかかわる者に対して、どのような考えをもってモニュメントにアプローチしてきたのかについて、インタビュー調査を行う。加えて、外部アクター(慰霊碑を建立した団体等)とモニュメントとの関わりについて検討する。
調査の結果、次の二つの知見を得ることができた。
一つは、様々な人物および団体の思惑が絡まり合うことにより、第二次世界大戦時の地元住人と日本兵との記憶が、その記憶のあり方を変容させつつも、今日に至るまで継承されてきているということだ。これは、「タイ日友好記念館」をめぐる記憶継承のあり方に着眼したことで明らかとなった。具体的には、ミュージアムの設立者であるチョムタワット氏の個人的な日本兵への興味関心、地元自治体の記念館を利用することによる町おこしの目論見、学校教育での授業の一環としての記念館見学等である。様々な人々が関わることにより、モニュメントの存在意義は、本来の意図とは異なる形態に変容してきた。しかし逆に言うならば、これらの関与がなければ、記憶の継承そのものが危うくなっていた可能性があるのではないだろうか。
二つ目は、外部団体との緩やかな繋がりにより、慰霊碑が維持されているということだ。クンユアムには、ムアイトー寺に三つ、トーペー寺に一つの慰霊碑がある。現在これらの慰霊碑は、クンユアムに唯一在住する日本人男性によって管理されている。彼は、地元の高校で日本語教師をしており、慰霊碑とは関係なく、この地に住むことを決意した。つまり、彼と慰霊碑団体との関係は、偶然成り立ったものだと言える。きっかけとしては、決して強固とは言い難い関係性のもとに、慰霊碑の維持が成り立っている。また、この人物以外に、寺の僧を含め現地で慰霊碑を管理している者はいない。彼の後任となるような人物も現時点では存在しない。
したがって、この地における第二次世界大戦時の記憶というものは、しなやかさと脆弱さを同時に備えつつ、継承されてきていると言うことができる。そして、この継承のあり方というのは、当時国家権力が十分に及ばず、「戦争」という言葉自体もおそらく存在しなかった、この山あいの町だからこそ見出せるものであると考える。
本調査の反省点は、現地語を用いた詳細なインタビュー調査を行うことができなかったことだ。本調査では、通訳を介してインタビューを行った。通訳者の英語/日本語運用能力の不足に加え、調査者からの一方的な質問に対する回答以上に、より深いもしくは派生的な情報を得ることはできなかった。また、本調査期間は全体で2ヶ月間であり、クンユアムでの調査は2週間にとどまった。次の調査に繋がるように、幅広い人脈作りを行うことはできたが、より詳細で内輪の人間にこぼすような類いの話を聞くことはできなかった。
したがって、今後の展開としては、これらの反省点を乗り越え、モニュメントのもつ「戦争」記憶と人々の「戦争」語りとの相互関係を明らかにすることとしたい。地元住人の内部に入っていくことで、モニュメントと住人との「戦争」記憶をめぐる対話のあり方と、それにより記憶そのものが変容していく様を捉えることができると考える。
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