京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 COSER Center for On-Site Education and Research 附属次世代型アジア・アフリカ教育研究センター
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
フィールドワーク・レポート

タイ 2019年総選挙における軍事政権の御用政党 /バンコク都での議席獲得要因に関する考察

バンコク市内のPracharath政策によるwelfare cardの垂れ幕

対象とする問題の概要

 2019年3月24日、タイで約8年ぶりの総選挙が実施された。2014年以降の軍事政権から、選挙結果に基づく政権および首相の復帰となるはずであった。しかし結果は、選挙に敗北した親軍派政党が政権を握り、軍政トップであったプラユットが首相に返り咲いた。背景には、2017年憲法による大政党の議席を目減りさせる仕組みや上院任命制による軍隊側議員の議席確保といった制度改革の実態がある。したがって選挙を実施しても、権力者が工作を行うことにより、民主化が妨げられていることがタイ政治における問題である。タイでの選挙は1932年の立憲革命により開始され、軍事政権やクーデタを経て1970年代から再び重要視された。しかし2006年以降、選挙結果が憲法裁判所やデモ隊により、意図的に無視されるようになった。その間に選挙勝利のための準備期間を確保した軍隊は、多様な政治工作を行い、ようやく選挙結果という正当性に基づく政権を執ることに成功した。

研究目的

 本研究の目的は、軍隊が選挙結果に基づいて政権を掌握した今回の選挙の意義を、これまでのタイの民主化の流れを踏まえつつ解明し、今後のタイ政治に与える影響を考察することである。2019年選挙では、2001年以降選挙で大勝利を収めていたタクシン派政党であるPheu Thai(以下PT)が、第1党であったものの大幅に議席を減らした。また軍政の御用政党であるPalang Pracharath (以下PPRP)は、選挙区および比例代表の双方で議席を獲得し第2党となった。軍政による制度改革は、確かにPPRPの政権掌握に貢献した。しかしPPRP候補者の選挙区での当選は、改革の影響だけではない。よってフィールド調査では、バンコク選挙区におけるPPRP候補者の勝因を検討する。

anti-corruption museum タクシンの汚職に関する展示

フィールドワークから得られた知見について

 2011年選挙ではバンコク県内の33選挙区を民主党とPTの二大政党が独占した。一方2019年選挙では30選挙区中12議席をPPRPが獲得し、PTと新党であるFuture Forward Party(以下FFP)が9議席と後に続いた。PPRPは2011年の民主党第1党選挙区から9議席、PTの選挙区から3議席を獲得した。過去数回登場する軍政の御用政党のうち、バンコクで第1党となったのは不正操作による1957年を除いて史上初である。2019年選挙ではなぜPPRPが最も多くの議席を獲得できたのか。
 議席獲得要因の一つ目は、PPRPによる他政党所属議員や地方政治家の引き抜きである。2011年は民主党が勝利した15区では、民主党から引き抜いたChawwit Wiphusiriが当選した。さらに1、4、8、17、30区でも、バンコク都議会議員や区議会議員から引き抜いた候補者が当選した。有力者の引き抜きによる個人人気へのあやかりは、議席獲得の策略として成功したと言える。しかし引き抜きだけでは、2、6、7、13、19区での新人候補者の当選を説明できない。新人の当選には個人の実績がないため、政党への支持が必要である。PPRPが支持を得ることに成功した二つ目の要因は、政府が2015年から実行している  Pracharath政策である。2017年10月から実施されたwelfare card systemでは、収入が10万バーツを下回る個人にカードを通じた給付金の配布が行われた。アジア開発銀行の推定によると、2019年3月時点で受益者はタイ国民1400万人に上った。バンコク都内では、プロジェクトの垂れ幕が掲げられた店やカード所有者歓迎というセブンイレブンの張り紙およびバスの看板等が見かけられる。つまりPracharath政策は成果を出すことに加え、同様の文言を使ったPPRPの政党名を宣伝することに貢献したと考えられる。したがって、バンコクにおけるPPRP候補者の当選には、個人有力者の引き抜きによる個人人気へのあやかり、政策を通じた政党の宣伝というPPRPの戦略が大きく影響している。

反省と今後の展開

 本研究では、バンコク選挙区でのPPRP候補者の勝因を模索した。今回は2つの要因を記述したが、この2つで勝因を結論付けるには十分ではない。今後は2011年よりさらに過去の選挙とも比較し、他要因の追究に当たる。過去の選挙においても、seri manangkhasila(1957)やSamakheetham(1992)といったPPRP同様の御用政党が存在していた。したがって、2011年以前の選挙との比較は必要不可欠である。さらに今回のバンコク選挙区の結果では、民主党の大敗も大きな特徴の一つである。民主党は長い政党の歴史において議席の増減が激しいが、バンコクで議席を1つとして獲得できない事態は深刻である。民主党大敗の要因を検討することもまた、これからの課題である。今後の展開としては、バンコク選挙区の選挙結果を分析することから、2019年選挙の意義とのちのタイ政治に与える影響を考察する。

  • レポート:泉 向日葵(平成30年入学)
  • 派遣先国:タイ国
  • 渡航期間:2019年8月31日から2019年9月25日
  • キーワード:タイ、選挙、軍事政権

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