京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 COSER Center for On-Site Education and Research 附属次世代型アジア・アフリカ教育研究センター
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
フィールドワーク・レポート

現代ブータンにおける農村起業家/過疎化と就職問題の視座から

首都ティンプーで開催されたDruk Tshongrig Gatoenの様子

対象とする問題の概要

 ブータンにおいて以前から若者の高い失業率が問題となっている。ブータンでは近代教育が普及し、高等教育を修了する者が増加したのだが、彼らが求めるホワイトカラー職の雇用は依然として不足している。高等教育を受けた上で故郷の村に戻って農業に従事する若者は少なく、無職のまま都市に残る人々が増えている。こうした若者の影響もあり、「2037年には全人口の半数が都市部に集中する」という試算もあるほど、ブータンでは都市部への人口移動が激しい。こうした中、地方の農村部では耕作が放棄され荒れた田畑が目立つようになっている。しかし、その状況を変えると言われているのが、若者の起業ブームである。国内外から注目されており、現地政府や国際援助機関が起業家の創出に尽力している。この起業ブームには農村部での起業も含まれており、地方の産業育成という点で過疎化や就職問題を考える上で重要な要素となっている。

研究目的

 上記のような問題背景から、私はブータンの地方の農村部における起業について調査する。有機農業をアピールして市場に売り出すなど、新たなビジネスが開始された農村に滞在し、参与観察を行う。そして、過疎化や就職問題という大きな文脈との関わりの中で、当該地域に起こる変化を理解することが主たる目的である。第一回となる今回の現地調査では、以下の2点の小目的を設けた。1点目は、起業家の創出に尽力する行政や援助組織の活動の実態を調査し、起業ブームの全体像を掴むことである。これは主に首都ティンプーでの調査となった。2点目は、長期間に渡って過疎村でのフィールドワークを行い、参与観察と緻密な記録の蓄積を通して過疎村での生活を理解するということであった。特に、いかにして生計を立てているのかという経済的な側面に着目した。このように、都市と農村の双方で調査を行うことで、どちらか一方の視点に偏らないよう配慮した。

今回滞在したジリ村。トウモロコシ、ミカン、バナナなどが栽培されている。

フィールドワークから得られた知見について

 現在、ブータンでは起業を推進するための取組が多く行われている。その代表がDruk Tshongrig Gatoen(ブータン起業家フェスティバル)であり、2019年10月に第2回が開催された。メイン・イベントはティンプーで行われ、経済省を始めとする政府機関や、UNDPやJICA等の援助機関が招待された。Thshongrig Gatoenはローデン基金が主体となって開催している。ローデン基金はこれまでに175以上の新規事業を支援してきた財団である [1]
 ブータンの「起業家支援」についての事前調査ではローデン基金に関する記事が多く確認された。また、現地で政府や大学の関係者に‘Entrepreneur’について聞くと、ローデン基金に言及する人が多かった。しかし、農村部でのフィールドワークによって、多くの過疎農村ではローデン基金の活動の影響は小さく、認知度も低いことが分かってきた。
 私が2ヶ月以上滞在したのはタシガン県カリン郡に位置するジリ村という過疎農村である。そこで行われる起業はキオスクを開いたり、家畜を購入して鶏卵や乳製品のビジネスを始めたりする普遍的なビジネスが殆どであった。一方で、ブータンで高等教育を受けた人が‘Entrepreneur’と言う時、それは新しいビジネスモデルを実践する「ベンチャー」であり、中でも環境や社会を良くする「ソーシャル・ビジネス」を意味することが多かった。そうした‘Entrepreneur’像はローデン基金の活動によって広まったと言えるかもしれない。実際、ローデン基金の支援対象は‘Social Entrepreneurship’と明記されているのだが、イベント等ではあまり区別されずに単に‘Entrepreneurship’と表現されることが多い。
 大卒が堂々と就ける職業が国家公務員以外に殆ど無いような国で、「起業家」のイメージを大きく改善した功績は特筆すべきである。しかし、過疎農村を考える上でローデン基金が果たす役割は現在のところまだ大きくない。むしろ重大な役割を担っているのはBDB(Bhutan Development Bank)などであった。BDBは地方の低所得者向けの金融機関であり、こうした機関からの融資が過疎農村での一般的な起業を支えていた。


[1] 2020年2月25日現在。

反省と今後の展開

 今回の調査では、京都大学の安藤和雄教授に仲介していただき、現地の王立大学シェラブツェ校での受入れが叶った。ブータンではこうした強力な協力がないと現地で調査をすることは難しい。安藤教授は2019年度でご退任されるため、今後は自ら積極的に現地のカウンターパートと連携を取り、良い協力関係を持続・発展させていく必要がある。今後の展開としては、より幅広い意味での起業を支援するBDB等の融資機関に焦点を当て、それがどのような特徴を持ち、ブータンの過疎村においてどのような役割を果たしているのかについて調査を進めていく。一方で、ローデン基金の活動などにより、社会における「起業家像」が変容していく側面にも着目する必要がある。また、ブータンの就職問題の背景を理解するため、教育システムや公務員と民間企業の採用システムを知る必要がある。これらは文献を中心に情報収集し、足りない部分は今後の聞き込み調査によって補う。

  • レポート:浅井 薰(平成31年入学)
  • 派遣先国:ブータン王国
  • 渡航期間:2019年8月20日から2020年2月5日
  • キーワード:過疎問題、就職問題、起業家、マイクロファイナンス

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