人間活動に関わる外来生物種の移入状況―マダガスカル共和国・アンカラファンツィカ国立公園の事例―
対象とする問題の概要 人間活動のグローバル化に伴う生物種の世界的な移動はもはや日常化している今日、外来生物の移入や生態、利用状況を科学的に捉え、真に必要で有効な環境保全あるいは保護のありかたを再考することが必要とされている。 家畜化・栽培…
1962年3月、ネウィン率いる国軍はクーデターを敢行し、国家の全権を掌握した。1974年、BSPPを唯一の指導政党とする党国家体制に移行するものの、ネウィンを頂点とする権力構造に変化はなかった。1980年代半ばから、経済が行き詰まり、国民の不満が高まるなか、1988年3月、学生と警察の衝突が発生した。この事件をきっかけに、反体制運動が盛り上がり、1988年7月末、ネウィンは党議長職から辞任する。ネウィンの後任として、体制内強硬派のセインルインが選ばれたが、わずか16日にして辞任に追い込まれた。つづいて体制内穏健派のマウンマウンが登場する。彼は、3か月以内に複数政党制に基づく総選挙の実施を約束するものの、政権の完全転覆をもとめる民主化勢力のデモは収まらない。すると、1988年9月18日、「法と秩序の回復」を理由に、国軍がクーデターを敢行し、国家の全権を掌握した。以後再び、約四半世紀にわたって国軍による統治がなし崩し的に続いた。
わたしの研究の目的は、1988年にミャンマーで発生した民主化運動の論理を明らかにすることである。とりわけ運動に参加した当事者たちの問題意識および連帯の在り方を内在的に考察する。そこで、本フィールド調査では、以下の二つを行う。
第一は、民主化勢力への聞き取り調査である。1962年以降のネウィン体制下において、政治的組織を形成することは大きく制限されていたが、1988年に民主化運動が発生した際、多くの組織が、学校ごと、地域ごと、職業ごとに現れた。その各組織のリーダーたちにインタビューを実施する。第二は、文献調査である。ヤンゴン大学の図書館に所蔵されている、事件当時に民主化勢力が出版した新聞/機関紙の内容を分析する。また、2010年代に出版規制が弱まり、民主化運動についての回想録が数多く出版されたため、それらを街の本屋で入手する。
わたしは、本フィールドワークを通じて、ミャンマー民主化運動の論理の複数性を発見した。従来の研究の多くは、体制側と反体制側の対立構造を基本的な分析の枠組みとして措定してきた。ところが、「反体制」ということばで民主化勢力を一括できないほど、その運動の論理の内実は、きわめて複数的であるということが明らかになった。具体的には以下の三点を指摘しうる。
まず、第一の都市ヤンゴンと第二の都市マンダレーでは、まったく運動の形態が異なる。ヤンゴンでは、運動が佳境に差し掛かると、略奪・放火・リンチ・首切りなど、一部の民主化勢力による暴力が顕現化した。他方で、マンダレーでは僧侶による統制が機能したため、きわめて穏健な手法によるデモが行われた。ヤンゴンでは運動の組織が大量に乱立した一方で、マンダレーでは一つの大きな組織のもとにひとびとが統合されたという違いも重要である。
次に、都市と農村における運動の論理も異なることがわかった。都市、とりわけヤンゴンでは、1988年3月に抗議活動をしていた学生の死が、ひとびとの運動の動機となった。農村では、貧困が、ひとびとが運動に参加した主な要因となった。
最後に、運動の論理における重要な分裂として、国軍のクーデター以後に、政党政治と武力闘争に分かれたことがあげられる。先行研究において着目されてきたのは前者であり、後者については、あるいはそれらの分裂については、あまり論じられてこなかった。本フィールドワークでは、クーデター以前の民主化運動により積極的に関わっていたのは後者を選択したひとびとであること、そして、とりわけクーデター以後に、彼らのあいだでも熾烈な権力闘争が存在していたことを発見した。
第一の反省点は、インタビューの対象が、エリートに偏りすぎた点にある。1時間以上のまとまったインタビューを実施したインフォーマント23人のうち、職業別の内訳は、学者6人、作家4人、政治活動家4人、詩人3人、政治家3人、芸術家1人である。しかし、運動に参加したひとびとの多くは、彼らのようなエリートではない。第二の反省点は、当事者の「日常」を看過した点にある。フィールド調査の終盤でわかってきたのは、彼らがどのような家族のもとで生まれ、だれと友達で、どの学校に通い、どの職業に就いていたか、どのような手段で移動したり連絡したりしたか、といった日常の在り方が、非日常(民主化運動)の在り方に大きく影響しているということである。したがって、今後の調査では、階級横断的な聞き取りを行うこと、そして、当事者の「日常」を丹念に聞き出すことが必要である。
Copyright © 附属次世代型アジア・アフリカ教育研究センター All Rights Reserved.