京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 COSER Center for On-Site Education and Research 附属次世代型アジア・アフリカ教育研究センター
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
フィールドワーク・レポート

モロッコにおけるタリーカの形成と発展(2018年度)

カラウィーイーン図書館(フェズ)の閲覧室(2018年10月25日撮影)

対象とする問題の概要

 モロッコ初の大衆的タリーカであるジャズーリー教団の形成過程を明らかにするにあたり、教団の名祖ムハンマド・イブン・スライマーン・ジャズーリー(d. 869/1465)の思想と事績が重要となる。現在流布している伝記では、ジャズーリーはモロッコ沿岸部を侵略していたポルトガルに対しジハードを呼びかけて民衆の支持を得たとされている。しかしこのエピソードは後世の潤色でありジャズーリーは政治活動と無縁な思想家・祈祷書作者であったという説[Frenkel 1993]と、少なくともジャズーリーの思想にはスーフィーによる社会変革を主張するものがあったという説[Cornell 1992]が存在する。政治活動を行い大衆の支持を集めたジャズーリー教団の思想と教義をジャズーリーに遡ることができるか否かということは、教団の形成過程を描き出す大きな鍵であると報告者は考える。ジャズーリーの著作の内容を体系的に検討することでその思想を明らかにしたい。

研究目的

 本研究の目的は、マリーン朝末期15世紀モロッコに登場したタリーカであるジャズーリー教団の形成過程を明らかにすることによって、モロッコにおけるタリーカの大衆化と政治的影響力獲得のプロセスを解明することである。14世紀までのモロッコのタリーカは、スーフィーやウラマーによる学問的・宗教的集団としての性格が強かったが、ジャズーリー教団は民衆の支持をも集め、16世紀にはサアド朝興隆の要因となった。すなわち、モロッコ史におけるタリーカのありようの転換の契機と言える。この教団組織は17世紀以降衰退したが、その教義と系譜は今日の北アフリカ・西アフリカに広がり、現在でもダルカーウィー教団やハマドゥシャ教団などに伝わっている。ジャズーリー教団の形成と発展のプロセスを解明することは、北アフリカ・西アフリカという広範な地域のタリーカの根源を解明することにもつながる。

ムハンマド・イブン・スライマーン・ジャズーリー廟(工事中)

フィールドワークから得られた知見について

 フィールドワークでは、ジャズーリーの著作をはじめとする写本の調査・収集を行った。ラバト、フェズ、マラケシュの3都市の4文書館で、未発見の写本史料2点を含むジャズーリーの著作12点と後世に書かれたジャズーリー教団関連の写本9点を入手した。その他、入手はできなかったが未発見のものを含む史料・文献20点あまりの存在とその所在を確認した。史料・文書館に関して最も重要な知見は、各文書館ごとに異なる写本の閲覧・入手のための諸手続き・利用法を、実践を通じて把握することができたことである。史料収集以外では、今後の現地調査を円滑にするためにラバトの語学学校で4週間計45時間の会話集中コースを受講した。日本でのアラビア語学習は文献の読解に比重を置いていたため、自らの語彙の偏りを痛感する機会となった。日常会話のほか現代のモロッコ・アラブ世界の社会問題に関する討論形式の授業も多く、自分の見解を筋道立てて話す訓練になった。モロッコ人家族のもとで2ヶ月ホームステイをしたこともアラビア語の運用能力と学習のモチベーション双方の向上に役立った。
 当初の目的であった史料収集と語学学習以外にも得られた知見がある。マラケシュではジャズーリー廟と、ジャズーリーから数えて第3世代の弟子にあたるスーフィーであったイブン・アスカルの廟の敷地内に立ち入ることができた。ジャズーリー廟は工事中のため参詣者はいなかったが、改修が行われていることからジャズーリーが尊ばれていることがわかった。イブン・アスカル廟には多くの人々が集まって祈りを捧げている様子が確認でき、スーフィズム・聖者崇敬が現代モロッコに息づいていることも実感できた。また、サアド朝史研究者であるカウンターパートのルトフィー・ブーシャントゥーフ教授(ムハンマド5世大学)との面談を通じて、マリーン朝末期〜サアド朝成立期に関する研究史の展開に関して理解を深めることができた。

反省と今後の展開

 大きな反省点は、2ヶ月滞在したにも関わらず現地の人々への聞き取りや研究者との議論が十分にできなかったことである。街の人々と話した感触では、アル=ジャズーリーは政治的に活動した偉大なタリーカの長というよりは高明な祈祷書Dalā’il al-khayrātの著者としてのみ知られているように感じられた。そうであればジャズーリー教団の影響力に関して、研究者と現地の人々の間で言説に開きがあるということになる。より深い聞き取り・議論を行い、ジャズーリーおよびジャズーリー教団の実像を理解するためにアラビア語の能力をさらに向上させて次回の渡航に備えたい。
 今後の研究の展開としては、今回のプログラムで入手した写本の内容の検討を進めてジャズーリーの思想を明らかにしていくことが主要な取り組みとなる。

参考文献

【1】Cornell, V. J. 1992. Mystical Doctrine and Political action in Moroccan Sufism: The Role of the Exemplar in the Ṭarīqa al-Jazūliyya, Al-Qanṭara: Revista de Estudios Árabes, 13(I): 201-231.
【2】Frenkel, Y. 1993. Muhammad al-Djazouli’s Image in Biographical Dictionaries and Hagiographical Collections Written during the Sa’did Period in Morocco, Maghreb Review 18(i-ii): 18-33.

  • レポート:棚橋 由賀里(平成30年入学)
  • 派遣先国:モロッコ王国
  • 渡航期間:2018年8月24日から2018年10月29日
  • キーワード:15-16世紀モロッコ、スーフィズム、タリーカ、聖者崇敬

関連するフィールドワーク・レポート

カメルーンのンキ、ボンバベック国立公園におけるヒョウ及びその他食肉目の基礎生態調査

対象とする問題の概要  ヒョウ(Panthera pardus)やゴールデンキャット(Caracal aurata)といった食物ピラミッドの高次消費者である食肉目は、その生息密度が地域の他の動物種の生息密度に大きな影響を与えるという点で、生…

島根県津和野町のカワラケツメイ茶の生産をめぐる 自然条件の適合性と歴史

研究全体の概要  島根県津和野町では、マメ科の草本性植物であるカワラケツメイ(Chamaecrista nomame (Makino) H. Ohashi)を材料とした茶葉が生産されている。元来カワラケツメイは河原の砂地や道端また森林の緑辺…

日本の喫茶店とタイ北部山地のコーヒー農家の繋がりと関係性

研究全体の概要  本研究は北タイ産コーヒーに焦点をあて、その生産地であるタイ北部山地と日本で同コーヒーを取り扱う人々がどのように繋がり、関係を持ったのかインタビューを通して明らかにすることを試みた。本研究が対象とする北タイ産コーヒーは歴史が…

キャッサバ利用の変化と嗜好性からみるタンザニアの食の動態

対象とする問題の概要  キャッサバは中南米原産の根菜作物であり、現在世界中でさまざまに加工・調理され食べられている。タンザニアでもキャッサバはトウモロコシやコメとならんで最も重要な主食食材の1つである。キャッサバを主食としていない地域でも、…

現代トルコにおける新しい資本家の台頭とイスラーム経済

対象とする問題の概要  本研究では、アナトリアの虎を中心的な研究対象とする。アナトリアの虎という用語は、1980年代以降に、トルコにおいて経済的な側面で発展してきた地方都市やその台頭を支えた企業群を指して用いられる。そうした企業群の特徴とし…