分断時代の南ベトナムにおける仏教徒運動とその思想
研究全体の概要 1963年5月釈迦誕生祭にて国際仏教旗の掲揚が禁じられたことを背景に仏教徒は宗教弾圧を訴えながら宗教平等を求める一連の社会運動を起こした。仏教徒はベトナム共和国(南ベトナム)の都市で反政府運動を展開し、自分の命すら落とす焚…
本研究の目的は、現代ネパールにおけるサリーの多層的な意味づけと、その意味を生成するサリーをめぐる実践の様相を明らかにすることである。地域ごとに多様な住民を「インド国民」として統合するインドのサリーとは異なり、近現代ネパールにおいてサリーは、国内外の他者を差異化する/自らが他者として差異化される記号としてはたらいてきた。しかしながら、在日ネパール人女性を対象に行った本調査を通して、ネパールのサリーは人々を魅了するファッションとしての側面があること、さらにサリー・ファッションは有名サリー店、消費者(着用者)、ブティック、仕立屋などの諸アクターの連なりのなかで生成されていることが示唆された。今後は、ネパールのサリー・ファッションを生成する重要なアクターとして消費者(着用者)に注目し、彼女らが自らの身体や自己、サリーを着る個別具体的な場面に応じてどのようなサリーを選択するのかを調査したい。
サリーとは、長さ5~7mほどの一枚布を身体にまとう装いである。サリーと聞くと、多くの人がインドを想像するだろう。インドにおいてサリーは、イギリスからの独立を目指す際に、統一的な国家像を表象するインドの「国民衣装」となった。だが、サリーはインドのみならず他の南アジア地域でも広く着用されている。なかでも、ネパールにおいてサリーは、国民を統一するインドのサリーとは異なり、国内外の他者を差異化する/自らが他者として差異化される記号としてはたらいてきた。近現代ネパールを通して、サリーは支配者層であるヒンドゥー高カーストの権力や近代性を誇示する記号として、あるいは、洋服などの新たにもたらされた衣服とは異なる「時代遅れな」装いとして捉えられてきた。
本研究の目的は、この差異化の記号に限定されない、ネパールのサリーをめぐる多様な意味づけと、その意味を生成するサリーをめぐる実践の様相を明らかにすることである。
本調査は、福岡でサリーなどの衣類を販売する3人の店舗経営者を対象に行った。3人とも30代の既婚女性であり、民族はネワール[1]、日本での滞在歴は10年以上であった。店舗に置いてあるサリーやクルタ・スルワール[2]などを見せてもらい、商品の説明やサリーに対する女性たちの考え方を聞いた。
3人に共通していたことは、サリーには流行があると語ったことである。彼女らはみな、日常生活のみならず祭礼の時でさえもサリーをあまり着ないと言及した[3]。それにもかかわらず、サリーの最新の流行についてよく知っていた。それは、彼女らがサリーを取り扱う店を経営しているからだろう。BM店を経営するSさんは、「サリーは毎年新しいものが出るから、みんな毎年新しいものを買う」と述べた。SG店のDさんによると、有名な高級サリー店が毎年新しいデザインを発表し、それを買えない人たちがSG店のようなブティックに来て、最新のデザインの真似をしたオーダーメイドのサリーを購入するという。 これまでのネパールのサリーに関する記述では、サリーのファッションに注目するものは見たことがない。その理由として、ネパールのサリーの多くはインド製であることが考えられる[4]。だが、SG店のDさんが話すように、ネパールにも有名なデザイナーがいて、毎年新しいデザインが作られている。ネパールの人々は、そのような流行のデザインに魅了されており、毎年サリーやクルタなどを新調する。最新のサリーを購入できない人々は、それらの流行を取り入れつつ、自分好みのデザインをブティックに注文する。そしてブティックは仕立屋に発注し、オーダーメイドのサリーが製作される。こうした状況を踏まえると、ネパールにおけるサリー・ファッションは単なる「インドのもの」ではなく、有名サリー店、購入者、ブティック、仕立屋などの諸アクターの連なりによって生成されている。
[1] ネワールとは、ネパールの首都カトマンズに古代から居住する先住民族である。言語はチベット・ビルマ語系のネワール語、宗教はヒンドゥー教と仏教の両方を信仰する。
[2] クルタ・スルワールは、一般的にはパンジャビー・ドレスとして知られている。裾が太ももくらいの長さのチュニックと、ゆるっとしたズボンの組み合わせである。
[3] サリーを好まない理由として、3人ともが着付けの難しさを語った。SG店のDさんは、20歳の頃から日本にいるためサリーを上手く着ることができないと述べた。彼女らはみな、サリーよりも着衣が簡単なクルタやレヘンガ(スカート)を祭礼時に着用するという。
[4] 実際、DB店に置いてあるサリーはすべてインド製だと店主のNさんは語った。
今後は、ネパールにおけるサリーとしてのファッションを生成する重要なアクターとして、購入者(着用者)にさらに注目したい。購入者(着用者)の女性たちは、ファッションリーダーが毎年生み出す流行に魅了されながらも、自分の身体の特徴や、自身がサリーを着る場面(TPO)に適応するサリーを必ず選び、着用しているだろう。個々の女性たちにとって、「自分に合うサリー」とはいかなるものなのか、そしてそれは女性たちの身体や立場(カースト/民族、年齢、階級など)の違いによっていかに異なるのか。これらを問うことを通して、ネパールの女性たちがサリーおよびサリーをまとった自分自身をいかに理解しているのかを明らかにし、差異化の記号という意味には収まりきらない、現代ネパールにおけるサリーの意味づけを描き出したい。
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