Burmese Political Monk U Ottama and the role of Pan-Asianism
Research background U Ottama (1879-1930) was a Buddhist monk who was a forerunner of a Burmese nationalist movement. He…
日本では、狩猟はかつて各地の里山で副次的に行われ、一部の地域では獣肉が貴重なたんぱく源であった。戦後から現代にかけて、労働形態の変化、畜産業の増加、農村から都市への人口流出などにより、現在生業としての狩猟は殆ど機能しなくなった。また趣味としての狩猟は 60 年代にブームを迎えて以降、年々狩猟者が減少している。 一方で、近年は里山の荒廃や地域の過疎高齢化によって農作物の獣害被害が増加し狩猟の必要性が高まっている。また趣味、生活スタイル、ビジネスとして新たに狩猟を始める人々が現れ再び狩猟が注目されている。本研究では日本の農村において個人と社会へ狩猟がどのような影響を与えているのか考察する。
今回は新潟県十日町市で第二回目の調査となる。2021年8月に行った調査では40名の狩猟者へインタビューを中心におこない、その結果、現在精力的に鳥獣被害対策に努めているこの地域では歴史的に狩猟が行われ小型鳥獣がしばしば獲物として狩られてきた。近年では、以前は見かけなかった大型獣が集落付近に頻出するようになったことで農作物被害と有害鳥獣駆除が増加していることが分かり、この地域と狩猟、動物の繋がりを把握することができた。今回の調査では、11月から解禁になる狩猟に同行し、獲物の動物がどこに生息しているのか、どのようなプロセスでこれらの動物を狩猟するのか、どのように獲物を利用するのか、狩猟者へ詳細に聞き取り、この地域全体の生態系とエリアごとの猟場や狩猟法の傾向、そして人々の獲物の嗜好をより明確に理解することを目的とする。
今回は、前回インタビューを行った狩猟者のうち9名と新たに11名に聞き取りをし、これらの狩猟者が参加する猟に合計6日間同行した。
十日町市は有数の豪雪地帯であり、猟の解禁日11月15日から11月中は雪のない時期の池や水場に生息するカモ猟が中心になる。猟場はカモが潜ることのできる1.5m以上の十分な深さと身を隠す適当な藪のある水場で、稲刈り後に落ちたもみを食べるため田んぼの近辺が多い。また狩猟者が散らばって射撃しやすい高低差のある場所や、安全性から人や民家の少ない山間部が多い。カモ猟は次のような流れでおこなわれる。早朝に起床し、6時ごろ他の狩猟者と集合して猟場に出発する。猟犬がいれば1人から、最低2人集まって出猟する。カモの好みそうな棚田のため池や湖などの猟場に着いたら、それぞれ水場の下方の田の畔や土手あるいは山の斜面に位置につく。一人追い子と呼ばれる役目は、上方にある水場へそっと近づきカモがいるかどうか確認し、いた場合は声をあげるか手をたたいて脅かし射手の方へカモを上空に飛ばす。それを下で待つ射手が撃ち落とし、落下地点まで回収に行く。このような一連の過程を、獲物がいない時は約10分、獲物が藪や沢に落下して回収に手間取る場合は30分以上一つの場所に滞在することもあり、一日に15~ 30か所を回る。
捕獲したカモは他の獲物に比べ個体数が多く沢山捕獲できるので、猟後に参加者らで食べたり譲りあう姿が頻繁に見られた。特にカモ肉は人気が高く一つの猟期で狩猟者1、2羽自家消費して残りはしばしば人に譲ったり飲食店に卸したりすることもあった。今回参加したカモ猟は、初猟の風物詩として普段はあまり狩猟をしない人や、狩猟初心者から長年続けている熟練者まで地域ごとに集まって交流する機会であった。そして、獲ったカモは、狩猟者たちだけでなく彼らの家族や知人を通じて十日町地域の人々にカモ肉として消費されている。
今回の調査により、十日町地域で行われている狩猟の特徴や異なる狩猟者たちの交流など猟の内実についてより明確に把握することが出来た。特にカモ猟はこの地域の初猟の代名詞であるだけでなく、多様な嗜好性や世代の狩猟者が交わる貴重な機会である。今後は、狩猟者個人からより大きな枠組みに目を向け、狩猟者が所属する狩猟団体(猟友会)や自治体(地方行政)、国(環境省、農林水産省)とのかかわりを整理し、中山間地域における狩猟の現代への展開について博士予備論文を執筆する。
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