京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 COSER Center for On-Site Education and Research 附属次世代型アジア・アフリカ教育研究センター
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
フィールドワーク・レポート

マレーシア華人の自己表象に関する一考察 ――民族博物館と歴史教科書を例に――

調査地の独立中学にて歴史科の先生たちと打ち合わせしている様子

対象とする問題の概要

 多民族を抱えるマレーシアは複合社会であり、マレー人・華人・インド人をはじめとする各民族集団間の境界がはっきりしている。一方、マレー人と華人の間には緊張関係が存在し、同国の政治と社会経済の中心課題に位置づけられている。固定化された民族境界は、この両民族集団の二極化状態を強化する要因の一つだと言える。
 政府の一元的な文化政策への危惧感を背景に、少数派である華人社会においてはよく「華語は華人の魂である」のような、言語や民俗慣習と華人という身分を結びつけたような言説を見る。こういった「華人」表象は、華人の凝集性を高める一方で集団の排他性を増し、民族境界を固定化する役割を有すると考えられる。そのため、華人表象における排他性、またそれと同国の民族間関係に与える影響について検証すべきである。

研究目的

 本研究は、マレーシア華人組織による博物館[1]や歴史教科書[2]に着目しながら、華人の主体性の特徴と形成過程を分析し、現代マレーシアにおける「華人表象」の様相を明らかにする。マレーシア華人博物館は、華人の国家建設への貢献を記述する「歪曲された歴史の真実を再現する」場所だと位置付けられている[東方Online 2014]。歴史教科書は、華人の視点に立った歴史記述が主要な内容であるため、博物館と同じように、現代華人表象を検討するために不可欠な材料だと考えられる。
 博物館と歴史教科書に見られる華人表象は、人々の日常的実践や地方性との間にどのような異同があるのか、それが民族境界の固定化をもたらし、マレーシアの民族間亀裂に影響を与えるのかについて検討することも、本研究の目的とする。
 以上を踏まえ、調査地では①博物館の展示内容と②歴史教科書の内容及びそれが使われた現場の様子を調査し、③日常的実践とされた人々の語りを収集する。


[1] マレーシア中華大会堂総会が2018年に設立した民営博物館、マレーシア華人博物館(华总马来西亚华人博物馆、Malaysian Chinese Museum)を指す。
[2] 華人教育組織の董総によって編著・出版し、華文独立中学で使用される歴史教科書を指す。

マレーシア華人博物館の入口。
本博物館はマレーシア華人の国家建設における無畏無私と不屈不撓の精神を称揚するものである。

フィールドワークから得られた知見について

 マレーシア華人博物館は、首都のクアラルンプールに位置する。紀元前1世紀から現代に渡り、中国から南洋に移住した華僑華人がマレーシアの国家建設に貢献しながら、自らの根である華語教育や伝統慣習を維持してきた歴史が展示される。そこでは特に、18世紀末から渡来した華人労働者が語りの主要な対象であり、それ以外に形成された華人コミュニティに関する描述は少ない。また、華僑の劣悪な移住背景や労働環境、日本占領期における華人粛清、独立後の華語教育課題が重点的に展示される。マレーシア華人が苦境に追い込まれながらも、自身の努力で抜け出し、この国で生き残った言説が多く見られる。
 比較対象として、国立博物館での調査も行った。イスラム王朝やマレー皇室の華美な展示がほとんどであり、華人に関する展示は「マレーシアの多様な民族」にしか現れず、「苦境」を想起させる展示や説明も一握りであった。
 次にセランゴール州のクランにある華文独立中学で、歴史科の先生に教科書の教授法について聞き取り調査を行った。現在使用している歴史教科書は近年に新編されたものであり、公的な歴史教科書と異なり「多元的な記述」をし、かつ旧版よりローカル化・脱中国化した歴史叙述を重要視していることが明らかになった。また歴史授業を聴講させてもらい、日本占領期における華人社会が受けた過酷な待遇について聞けた。
 以上、博物館と教科書からとも「苦境を乗り越えてきた辛抱強い華人」表象が見られる。華人社会が作り出した歴史叙述は、多元的で公的な言説と相反したものだと強調される一方、マレー人をはじめとする他民族集団は、常に「苦境」における受益者や加害者として語られる。つまり、現代華人の歴史観及びそこから生成した華人表象には、排他性が存在し、「マレー人等/華人=加害者/被害者」という構図の固定化に加担していると言えよう。

反省と今後の展開

 今回の調査では、独立中学の教職員や調査者の家族・友人に対して、雑談を交えた非構造インタビューを実施できた。そこからは、華人の他民族に対する心的距離が深く存在することが明らかになった。同時に、「辛抱強い華人」表象とそれに付随する排他性に、反感を抱く華人若者もいた。今後の調査は、華人表象における排他性を中心にインタビューを実施することを検討していきたい。加えて、今回は歴史教科書の編著関係者に繋がったため、次回は華人教育組織の意向や教科書改編の意図について、聞き取り調査を実施したい。
 華人の歴史における「脱中国化」が打ち出された一方、若者の中には中国のネット用語を使う流行が見られ、町中に増えてきた四川料理屋[3]に対する受容性も高い。祖先の故地である中国は、現代華人表象においてどのように語られ、また華人若者にどのように受容されるかについては、今後の課題として検討していきたい。


[3]福建・広東などの中国南部地方にルーツを持つマレーシア華人が開く「華人レストラン」と違い、近年中国籍の中国人が開いたレストランを指す。

参考文献

東方Online. <https://www.orientaldaily.com.my/news/central/2014/08/17/55150>(2014年8月17日)

  • レポート:ヨーン ペーン(2022年入学)
  • 派遣先国:マレーシア
  • 渡航期間:2022年8月18日から2022年9月26日
  • キーワード:マレーシア華人、文化表象、独立中学、歴史教科書、博物館

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