筆者はベトナム語の語学研修とハノイのベトナム国家図書館などで文献調査を行ったが、以下では文献調査から得られた文献リストは割愛し、フエ市踏査で得られた知見を詳述したい。 仏教運動の始発点であったフエ市には、1963年5月8日に生じた「フエ殺戮事件」の犠牲者を追悼する塔がある。それはフエ市の旧市街と新市街を繋ぐチュオンーティエン橋(Cầu Trường Tiền)の新市街側交点にある「殉教者記念塔(Đài Kỷ Niệm Thánh Tử Đạo)」である。同塔には「フエ殺戮事件」当時、公権力により命を奪われた8人の殉教者の名前が刻まれている。1963年6月中旬、ゴ・ディン・ジエム大統領が、仏教徒の強い反発の中、国旗と国際仏教旗を同時に掲揚する際、国際仏教旗は国旗より小さいサイズにするよう求めたことがあった。このような史実を考慮すると、同塔の前に国際仏教旗とベトナム社会主義共和国の国旗である金星紅旗が同一のサイズで掲揚されている様子は印象的に感じられる【写真1】。 仏教運動当時、中心的な役割を果たしたのはトゥーダム寺院(Chùa Từ Đàm)であった。同寺院の庭の片隅にある碑文には、約300年にのぼる同寺院の歴史が記されているが、その中で、仏教運動についても言及している。碑文によれば、1963年の仏教運動の背景はカトリック教をほめそやすためにひどく仏教を差別し、仏教旗を蹂躙したことにあり、それに対する仏教徒の対応は「宗教の平等な自由を求める仏教運動(CUỘC VẬN ĐỘNG PHẬT GIÁO ĐÒI QUYỀN TỰ DO BÌNH ĐẲNG TÔN GIÁO)」であったという。また、仏教運動の跡が残されているもう一つの仏教寺院としては、現在多くの観光客が訪れる観光スポットでもあるティエンムー寺院(Chùa Thiên Mụ)が挙げられる。ティック・クワン・ドゥック(Thích Quảng Đức)という僧侶に関する展示があるこの寺院では、彼の生涯に関する説明文、1963年6月11日の焼身供養の前に乗った車【写真2】、焼身供養の様子を撮影した写真、そして焼身したにもかかわらず残された彼の心臓の写真が展示されている。