山形県朝日町における自然資源管理と超自然的存在 ――中東・イスラーム世界との比較に向けて――
研究全体の概要 本研究は、山形県朝日町O地区における神池A沼と地域住民との間の宗教的な関係性を明らかにしたうえで、O地区集落民の生業である農業と、観光資源としてのA沼の浮島の共的な維持管理において、信仰や超自然的な存在がどのように機能して…
ハンセン病コロニーは、ハンセン病に罹患した患者が自分の家や村を追い出され、空き地に住処を作ることで形成された。当時彼らが物乞いのみで生計を立てていたことから、2000年代に入ってもインドのハンセン病研究はハンセン病差別と物乞いという2点に焦点を当てられてきた。しかし現在その創設者たちは70-80代になっており、物乞いで生計を立てる者は少なくなっている。またその子供・孫・ひ孫など4-5世代に渡って自身が生まれたコロニーに住んでいる。そしてコロニーに住んでいるからといって全員がハンセン病罹患者/回復者であるわけではなく、ほとんどがハンセン病罹患歴がない。そのため現在のハンセン病コロニーはハンセン病回復者が住むという特性を除けば、ほとんどインドの地方に存在する普通の村と同じだと言えるだろう。このように世代の変化と共にハンセン病コロニーに住む人々の生活・就労は大きく変化している。
本研究ではハンセン病コロニーにおける生存戦略の変化を明らかにすることが目的だ。そのため主に2点に焦点を当てる。1つ目は結婚方法である。結婚方法からコロニーの内部構造や外部との関係を考察することでハンセン病コロニーがどのように維持されているかを明らかにする。また、コミュニティ内婚が現在のハンセン病コロニーの形成にどのような影響をもたらしているのか明らかにする。2つ目は第二世代以降の就労の変化を明らかにすることだ。コロニーには物乞いによって生計を立てていた後遺症のある回復者よりも、見た目にはハンセン病とは分からない人々の方が多く住んでいる。しかし彼らはハンセン病コロニーに住んでいる以上、ハンセン病と自身を切り離すことはできない。そのような状況で物乞いに代替する就労はどのような形であるかを明らかにする。
今回は主に西ベンガル州プルリア県アドラ市のマニプールコロニーにて30-80代の既婚者を対象に、結婚に焦点を絞ったフィールドワークを実施した。この調査によって大きく2つのことがわかった。まず1つ目は主な結婚方法がハンセン病コミュニティ内でのarranged marriage(お見合い結婚)であることだ。マニプールコロニーでは、同じプルリア県や隣のバンクラ県、近くのジャールカンド州にあるハンセン病コロニーとのarranged marriageが多く見受けられた。これはプルリア県にあるプルリア・ミッションというキリスト教系のハンセン病治療所やバンクラ県のゴウリプールハンセン病専門病院において親世代が関係を築いたために、親戚や知り合いがその周辺に多いことが要因だと考えられる。またコミュニティ内婚の要因の1つとして「結婚をアレンジする親世代が被差別経験・意識を持っていること」が考えられた。
2つ目はマニプールコロニーにはカーストの多様性が生まれていることである。フィールドに近い2つの村とマニプールコロニーのカースト割合を、有権者リストや聞き取りによって比較した。これによってマニプールコロニーにはScheduled TribeやScheduled CasteからBrahman(Generalカースト)まで、異なるカースト出身の人々が多く住んでいるだけでなく、彼らが井戸や寺院などを共有していることがわかった。これらのことは他の村ではみられなかった。よってマニプールコロニーではハンセン病コロニーの形成方法やコミュニティ内婚によって、カーストの多様性や日常生活における区別の無さが生まれていることがわかった。
以上2つの発見から、第一にマニプールコロニーでは客観的には一つのカーストに見えるにも関わらず、内部においては結婚時に強いカースト意識が働いていることが考えられる。またさらに結婚をアレンジする世代が変化することによって、今後の結婚方法などが変化することが考えられる。
今回のフィールドワークの反省点はスケジュール管理の甘さである。普段の半分以下の渡航期間の中で健康や調査日程の管理がうまくいかず、発熱や持病など心身の健康を崩した。渡航期間と自身が滞在するフィールドでの心身への影響を、合わせて現地での状態を想像することで充実した調査が実行できるようにしたい。
今後はハンセン病コロニーにおける就労状況が居住者の世代の移り変わりによってどのように変化したのかをチャリティや自営業、就労支援などの面から明らかにする予定である。
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