京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 COSER Center for On-Site Education and Research 附属次世代型アジア・アフリカ教育研究センター
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
フィールドワーク・レポート

イスラーム経済におけるモラリティの理念と実践――マレーシアを事例として――

ワクフで運営されているクリニック

対象とする問題の概要

 現代マレーシアは、1980年代以降、政府の強力なイニシアティブを背景に、イスラーム金融先進国としての道を歩んできた。一方、イスラーム経済の中での金融分野への過度な関心の集中は、イスラームの理念からの乖離として批判の対象にもなってきた。そんな中、2010年頃から、イスラームの伝統的な財産寄進制度であるワクフが再興されるなど、イスラームに立脚する福祉制度が近年、実践・研究どちらの場面においても注目を集めている。現代マレーシアで再興されたワクフは、政府の管轄下にありながらも、イスラーム金融の成長・発展と密接に結びつく中で、現代マレーシアを生きるムスリムたちの営みとして理解できる。さらに、多民族社会であるマレーシアにおけるイスラーム経済の実践は、ムスリムの枠をも超えうる可能性を持つと言える。

研究目的

 本研究の目的は、イスラームに基づく福祉制度が、現代マレーシアにおいてどのように実践されているかを調査することで、マレーシアにおけるイスラームの「モラル経済」の内実を考察することである。2回目のフィールドワークとなる今回は、主に以下の2点を小目的とした。1点目は、企業および政府機関への聞き取りである。企業については、ジョホール州のワクフ管財人に認定されている会社およびその会社の行うプロジェクトに関連する人々への聞き取り調査、政府機関については、州政府と連邦政府の管轄下にある機関をそれぞれ調査することとした。ワクフ実践に関わるそれぞれの組織・人々が、何に価値をおき、何を実現しようとしているかを、彼らの言説から汲み取ることを試みることとした。2点目は、関連図書の収集である。首都クアラルンプールおよびその周辺、ジョホール州に位置する大学や書店に足を運ぶことにした。

ジョホール州の王室も出席したセミナー

フィールドワークから得られた知見について

 今回、主に調査先としたジョホールバルは、マレーシア第2の都市であり、ジョホールバルに会社を構えるWaqaf An-Nurは、会社の株式をワクフに設定するコーポレートワクフをマレーシアで最初に始めたJohor Corporationグループ専門のワクフ管財人として、ジョホール州のイスラーム宗教評議会から認定されている。今回は、同会社、および同会社が運営するクリニック、モスク、バスターミナルを訪問し、関係者に話を聞いた。
 また、政府機関については、ジョホール州のイスラーム宗教評議会のワクフ担当者および、各州の宗教評議会と協力して国のワクフプロジェクトを進めるYayasan Wakaf Malaysiaにインタビューを行った。
 共通して得られた知見は、以下の2つである。
 1つ目は、ワクフ実践の多様性である。コーポレートワクフという新しい形のワクフをいち早く取り入れたマレーシアであるが、加えて、「一時ワクフ」と呼ばれる、さらに新しい形態のワクフプロジェクトなど、伝統的にとらわれないワクフ実践がなされていた。特に、Waqaf An-Nurや、Yayasan Wakaf Malaysiaは、州の宗教評議会や政府に働きかけて、より効果的かつ時宜にかなったプロジェクトを行おうとしている有様が見てとれた。
 2つ目は、福祉としてのワクフの捉え方だ。今回の調査先のプロジェクトに関わる人々は、自分たちの行っているものを「CSR」と呼ぶなど、イスラーム外の文脈と結びつけて表現することが多かった。
 聞き取り調査を除くと、マレー語・英語合わせて10数点の関連図書を収集した。加えて、受け入れ先のマレーシア工科大学で開催されたセミナーにおいて、イスラーム経済研究の世界的権威のメフメト・アスタイ教授らと意見交換を行った。イスラームのモラル経済をテーマに行われた同セミナーには、王室関係者も出席しており、当該テーマの関心の高さが伺えた。

反省と今後の展開

 今回の調査の反省点は2点である。1点目は、複数人の相手に対し、聞き取りを行うことができなかったことである。今回の調査では、幅広い範囲のプロジェクトを調査することができたが、同じ組織に属する人に対し、違う角度からの語りは聞けなかった。2点目は、実際の活動に参加することができなかったことである。当初は、ワクフプロジェクトの活動を視察することも考えていたが、会社との人間関係構築が間に合わず、聞き取り調査までしかできなかった。
 今回の調査の結果と考察は、博士予備論文の第4章として執筆予定である。現地で手に入れた文献を読み込みつつ、聞き取り調査の内容を文字に起こし、分析を加え、博士予備論文執筆を進めていく。

  • レポート:筒井 華子(2022年入学)
  • 派遣先国:マレーシア
  • 渡航期間:2023年8月7日から2023年9月20日
  • キーワード:マレーシア、イスラーム経済、ワクフ、モラル経済

関連するフィールドワーク・レポート

口琴の表象と伝承――アイヌ民族のムックリが演奏され続けるということ――

研究全体の概要  口琴は、東南アジアを含むユーラシア大陸に広く分布している。非常に単純な構造だが、演奏の仕方によっては音が全く変わってしまうという奥の深い楽器である。モン族は恋愛の場で用い、ラフ族の口承の物語にも魅力的な楽器として登場してい…

ジャカルタにおける都市住民の洪水対策における隣組(RT)・町内会(RW)の役割

対象とする問題の概要  世界的に都市災害が増加、激化する中、災害時の被害軽減のためには構造物対策だけでなく行政と連携した地域コミュニティレベルの防災活動が重要であると言われている[辻本2006]。ジャカルタで顕著な都市災害としては洪水が挙げ…

ルサカ市周縁の未計画居住区における生活環境の糞便汚染実態の調査

対象とする問題の概要  下痢は世界における死因の中で最も重大なものの1つである。特にアフリカでは下痢は重大な問題で、2019年に世界で150万人の人が下痢が原因で亡くなっているが、その約3分の1となる49万6千人がアフリカで亡くなったと報告…

小笠原諸島において気候変動の影響をうけるアオウミガメの保全と利用

研究全体の概要  小笠原諸島は気候変動の影響を受けやすいアオウミガメの世界的な産卵地として知られている。そしてまた、アオウミガメの保全と食利用が同時におこなわれている珍しい地域である。しかしながら、アオウミガメの保全と食利用についての包括的…

高齢者の暮らしに埋め込まれた農業と景観の再生産の関係に関する人類学的研究

対象とする問題の概要  徳島県三好市旧東祖谷山村は中央構造線の南側に位置する日本有数の地すべり地帯であり、大規模な山腹崩壊後の斜面に集落が形成された。近世以降は傾斜地での常畑耕作による葉たばこ・茶・養蚕等の換金作物生産がなされていた。とくに…