世界遺産白川郷における現代相互扶助制度
研究全体の概要 近年、農村地域の都市化やグローバル化が急速に進み、相互扶助といった人々の共助は失われつつある。そもそも相互扶助という村落慣行は、世界各地の農村地域で古くから行われてきた労力交換や共同労働を指す。白川村荻町には「結」という言…
本研究はインド農村部における農業や酪農などの生業活動を対象としたものである。
インドにおけるウシという家畜は、人々にとって様々な意味を持つ動物として日常生活の中で取り扱われている。インドにおいて多数派を占めるヒンドゥー教徒にとっては「聖なる存在」とみなされ、宗教シンボルとしての役割がある一方で、実際に生活のためにウシを飼育する人にとっては日常に欠かすことができない生活協働者として現れる。
1960年代に起きた「農業革命」、1970年代に起きた「酪農革命」によってインドのウシの種類比・雌雄比には変化が起きてきている。すなわち、農業革命によるトラクター化によってオスウシの価値が低下し、酪農革命によるミルク需要の高まりによって外国産の高乳量品種の需要が上昇した。人工授精技術の普及やインフラの改善など酪農を取り囲む状況は日増しに向上しており、現在のインドのウシ飼養にもさまざまな変化を与えている。
現在のインドのウシを取り囲む環境は、ミルクの需要の高まりや農業機械化の影響によって様々な面で変化している。また、宗教的に牛の屠殺が難しい状況から、捨てられた野良牛が町に溢れるなどの問題も発生している。人々はそのような変化をどのように受け入れ、ウシからより多くの恩恵を得るためにどのような生業を取っているのかを調査する。
変化するウシ経済とそれを取り巻く人々を知ることで、人と家畜の関係性を考察したい。
カルナータカ州トゥマクール県ネハラル村に位置するNGOブーシャクティ・ケーンドラでは、ダリットの人々に対してウシ飼養に関するインタビューを行った。グジャラート州ではナディアッド市近郊の農村部に滞在し、支配カーストであるパテルの人々の家でウシ飼養の様子を参与観察した。また、アナンド市ではグジャラート最大の酪農共同体であるAmulのミルク工場の見学をした。
カルナータカ州で得られたことで最も有意義だったのは、人々が農業にウシを用いていることを知ることができたことである。バンガロールにて現地教員と話した際にはすでにほとんどがトラクターに取って代わられていると指摘されていたものの、実際には農耕用に一定数のオスウシを保持している人が多かった。また、一般的には農耕用にはオスの伝統ウシが利用されるものの、メスの伝統ウシを使って畑を耕している家庭もあった。トラクターを持っている人から時間単位で借りたほうがウシを飼うよりも安上がりだが、ウシがもたらす糞や尿などの天然肥料、メスウシがもたらすミルクなどの副産物のためにウシを飼養するという人が多かった。人々が長期的なメリットを優先してウシを飼養しているとわかった。
グジャラート州の村では、ウシはミルクを目的に飼養されていた。飼養されているウシは全てメスであり、伝統種は飼育されていなかった。外国産種かスイギュウが牛舎のなかで飼育されており、購入したエサが与えられている。村の中にはAmulというグジャラート州の酪農共同体が設置するミルク回収所が設置されており、人々は朝晩とミルクを絞り、家庭で使う分以外をミルク回収所に売りに行く。Amulの工場ではミルク生産がシステム的に処理され、大量の商品が生産されていく様子を見ることができた。
各州でそれぞれの生業が営まれており、ウシを取り巻く状況は全く異なっていた。両者の状況を詳しく比較していく中で調査地を決めたい。
今回の滞在では、カルナータカ州ではダリットの人々を対象にし、グジャラート州では支配カーストであるパテルの人々を対象に調査を行った。結果として、グジャラート州の方がウシの商業的利用が多く見られたのだが、カーストの条件を揃えなかったことにより、両者のウシ飼養の条件を比較することが難しくなってしまった。また、グジャラート州に滞在していた期間がお祭りと被っていたことによりイベント事が多く、ウシを見る時間が少なくなってしまった。
今回は調査地を決めるための渡航だったため2つの州に滞在したのだが、次回以降はどちらか一方により長い期間滞在する予定である。1つの場所に集中し、歴史や政治、カーストについても調べていく中でより深くウシ飼養について明らかにしたい。
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