京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 COSER Center for On-Site Education and Research 附属次世代型アジア・アフリカ教育研究センター
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
フィールドワーク・レポート

ミャンマーの輸出向け縫製産業における企業の参入と退出の分析――コロナ禍・クーデター前後の比較――

写真1 地場縫製企業の工場。労働者が確保できず、生産ラインの一部を閉鎖している。

対象とする問題の概要

 本研究が分析の対象とするミャンマーでは、衣類の生産における裁断・縫製・梱包などの工程を担う縫製産業が主要な輸出産業であり、近年は総輸出額の3割程度を衣類が占める。ミャンマーのような後発国の豊富で低廉な労働力は、縫製産業に代表される労働集約的産業にとって競争力の源泉となり、産業発展に寄与する。そのため縫製産業の成長は後発国に輸出や雇用の拡大、貧困の削減をもたらし、工業化の足掛かりとして重要な役割を果たしてきた[Fukunishi; Yamagata 2014]。
 ミャンマー縫製産業の先行研究では、政治・経済環境の変化を契機とした、産業の担い手や生産に対する影響が分析されてきた。具体的には、軍事政権時代に米国によって科された経済制裁や、2011年の民政移管を経て経済改革が進展するなかでの産業の停滞と成長が分析されてきた[工藤 2006; 水野 2019]。近年生じた政治・経済環境の変化としては、新型コロナウイルスの流行と2021年2月に発生したクーデターが挙げられる。

研究目的

 本研究の目的は、新型コロナウイルスの流行やクーデターによって、ミャンマーの輸出向けの縫製産業はどのように変化したのかを明らかにすることである。
 先行研究では、輸出先や労働条件などの変化に着目してミャンマー縫製産業へのコロナ禍とクーデターの影響が分析された[Ngwenya-Tshuma; Min Zar Ni Lin 2022]。しかし、この期間に産業の担い手である企業の参入と退出がどのように生じたかは詳しく分析されていない。縫製産業は後発国の工業化の過程で重要な産業であり、その担い手の変化は、今後のミャンマーの発展のあり方に影響を与えると考えられ、分析する意義が大きい。
 先行研究ではミャンマー縫製産業の特徴として、地場企業の存在感の大きさが指摘されてきた[工藤 2006; 水野 2019]。こうした特徴はコロナ禍・クーデターを経てどのように変化したのか、あるいは維持されたのかを最大都市ヤンゴンでフィールドワークを実施し、聞き取りや収集した資料の分析から検討する。

写真2 閉鎖している生産ラインで使用されていた数十台の工業用ミシン

フィールドワークから得られた知見について

 フィールドワークから得られた知見は以下の三点である。第一に、直近のミャンマー縫製産業で生じている深刻な労働力不足である。特に徴兵制の実施が発表された2024年2月以降に増加した労働者の国外流出による労働力不足と希少化した労働者確保のための賃金の上昇が多くの産業関係者によって語られた。これらの要因によって、縫製産業におけるミャンマーの競争力を裏付けていた豊富で低廉な労働力という強みが失われ、将来的には縫製産業におけるミャンマーの競争力は失われていく可能性を複数の産業関係者が予測していた。
 第二に、縫製企業の存続にとってのバイヤーとの関係の重要性である。ここでのバイヤーは、縫製企業に直接発注をおこなう、商社やブランドなどの企業を指す。コロナ禍・クーデターをきっかけに、欧州の企業を中心とした一部のバイヤーはミャンマーから撤退するなか、残ったバイヤーとの取引関係の維持に成功した企業は安定した生産を継続することができ、現在まで存続してきた。この時期にバイヤーとの取引が途絶えた企業は、安定したオーダーを確保できなくなり、国内市場向けの生産や同業他社の下請けとしての生産に切り替えている事例が確認され、企業の退出に繋がっているという語りが得られた。また、特に地場企業は外資系縫製企業と比較した営業能力の低さから、バイヤーとの関係に依存する傾向があることが聞き取りから明らかになった。
 第三に、企業の所有形態による産業への参入と退出の傾向の違いである。フィールドワークを通して入手した縫製企業の名簿の2019年版と2024年版を比較すると、地場企業の減少が顕著であった。一方、外資系縫製企業については退出を上回るペースで新規参入が起こっており、ミャンマー縫製産業において地場企業の存在感の低下が示唆された。

反省と今後の展開

 本渡航では主に最大都市ヤンゴンの縫製企業に訪問し、聞き取りと資料収集を実施した。そのため企業ごとの沿革や近況について知ることができた一方で、ミャンマーの縫製産業全体の生産や労働条件などに関するデータは十分に集めることができなかった。今後は工業省や商業省といった省庁とその管轄下の部局が発行する資料の収集をおこなうことで、よりマクロな視点から産業を把握可能なデータを取得したい。また、今後は縫製企業ごとの生産性などに関して数量的に分析するために、特定の工場でより長期的な生産ラインなどの観察をおこなうことに加え、各縫製企業との信頼関係を構築することでより正確なデータや資料の取得に取り組みたい。

参考文献

 工藤年博. 2006.「ミャンマー縫製産業の発展と停滞―市場、担い手、制度―」『後発 ASEAN諸国の工業化: CLMV諸国の経験と展望』天川直子(編), 101–139ページ所収. アジア経済研究所.
 水野敦子. 2019.「ミャンマー縫製業の労働集約的構造に関する―考察: 2010 年代の輸出動向の分析を通じて」『関西大学経済論集』68(4):189–206.
 Fukunishi, Takahiro; Yamagata, Tatsufumi, eds. 2014. The Garment Industry in Low-Income Countries: An Entry Point of Industrialization. Basingstoke: Palgrave Macmillan.
 Ngwenya-Tshuma, Samu; Min Zar Ni Lin. 2022. The impact of the double crisis on the garment sector in Myanmar. In MYANMAR AFTER THE COUP, edited by Gabusi, Giuseppe; Neironi, Raimondo, pp.140–156. Torino: TWAI.

  • レポート:大和 凜(2023年入学)
  • 派遣先国:ミャンマー連邦共和国
  • 渡航期間:2025年2月4日から2025年3月17日
  • キーワード:ミャンマー、縫製産業、地場企業

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