京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 COSER Center for On-Site Education and Research 附属次世代型アジア・アフリカ教育研究センター
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
フィールドワーク・レポート

現代インドネシアにおける穏健イスラーム概念の諸相――スーフィズム・タリーカに着目して――

写真1 120周年イベントの様子

対象とする問題の概要

 イスラーム過激派や急進派が台頭したことを背景に、イスラーム世界において「穏健イスラーム」は、国家政策や国際関係における重要なキーワードとして用いられてきた。インドネシアでは、民主化以降、イスラーム復興が同時に進行する中で、政府は国内外に向けて穏健で寛容なイスラーム像を発信してきた。こうした国家レベルの穏健概念の提示は、テロ対策や国際的正当性の確保といった政治的文脈と深く結びつきながら推進してきた。しかし一方で、穏健という概念は国家の建前のスローガンにとどまるものではなく、学術的議論や宗教団体の実践を通じて多様に再解釈され、また時に論争の対象ともなっている。特にインドネシアのイスラーム内部では「リベラル」「過激」といったに二極臨軸との対比を通じた中道(ワサティーヤ・Wasathiyah)概念が穏健な道として位置付けられている。

研究目的

 本研究の目的は、現代インドネシアにおける「穏健イスラーム」概念の形成と展開を多層的な視点から解明することである。国家レベルでは、穏健イスラームは政治的な対外イメージ戦略と関連付けられて提示されてきたが、その需要や解釈は一様ではなく、多様な宗教団体、さらには民衆の語りや日常実践の中で多様に再構築されている。本研究は、この「上からの理念」と「下からの実践」との間に生じるダイナミズムを明らかにすることを目的とする。特に本研究では、民衆の視点を追っていく上で、スーフィズムを基盤とするタリーカの役割に焦点を当てる。タリーカは、国家と民衆をつなぐ中間主体として機能しており、その活動は信徒の精神的修養や社会的な活動とも結びついている。こうした実践の検討を通じて、本研究は「穏健」がいかに具体的な宗教的語りや儀礼、社会的活動の中で意味づけられているのかを検討していく。

写真2 インタビューの様子

フィールドワークから得られた知見について

 本調査における主要な成果の一つは、調査対象であるカーディリー=ナクシュバンディー・スルヤラヤ教団の設立120周年を記念して約2週間にわたり開催された大規模行事に参加できたことである。この機会を通じて、インドネシア各地から集まった指導者や専門家と交流し、教団関係者とのネットワークを拡大するとともに、多数のインタビュー調査を実施することができた。とりわけ、インタビューを通じて「穏健」概念に関する認識や理解のあり方を幅広く把握できたことは、本研究にとって大きな意義を有している。
 調査の結果明らかになったのは、筆者が当初想定していた「イスラームにおける穏健概念は、国家や政府による上からの提示を、教団の指導者層が再解釈・再構築することで形成される」という仮説とはやや異なる状況であった。実際には、多くの回答者がそのような枠組みを自明視している一方で、穏健概念は、教団が伝統的に保持してきたテキストや、これまでの政治的・社会的実践に根ざした説明という思想的基盤によって支えられていた。また、回答者の多くが「穏健」を右派(過激派)と左派(リベラル派)のいずれにも偏らない中道の立場として理解していたにもかかわらず、それを「ワサティーヤ」という語で説明する事例はごく限られていた。こちらから「それはワサティーヤに当たるのではないか」と確認すると、便宜的に同意する傾向は見られたものの、この語自体がインドネシア全土に十分浸透しているとは言い難い印象を受けた。むしろ、インタビューにおいて最も頻繁に言及されたのは「toleransi(寛容)」であり、ワサティーヤが理念的枠組みとして語られる一方で、具体的な態度や行動の指針としては「寛容」が強調されていた。すなわち、彼らにとってワサティーヤは抽象的な理念の一つであり、実践的な次元においては「寛容」という言葉がより大きな意味を担っていることが明らかとなった。

反省と今後の展開

 反省点としては、調査開始当初に体調不良や調査準備に時間を要したことが重なり、予定していたスケジュール通りに進められなかったことが挙げられる。さらに言語面では今回の調査対象の地域の人々への聞き取り調査において、インドネシア語だけでなくスンダ語の知識が求められる場面が多く、円滑なコミュニケーションを妨げることが多かった。今後は調査準備を怠ることなく、スンダ語の習得を行うことで、より実りのある調査を行いたい。
 今後の展望として重要なのは、「穏健・寛容」といった本研究の主題に関して、民衆ムスリムが自らを「ワサティーヤ」と表現することはほとんど見られなかった点にある。このことから、今後は民衆の語りや言葉遣いを慎重に分析し、より具体的な事例から穏健概念の様相を把握していき、民衆にとっての「穏健性」がイスラーム研究にどのような意義をもたらすのかを改めて考察していきたい。

  • レポート:阪口 諒祐(2024年入学)
  • 派遣先国:インドネシア共和国
  • 渡航期間:2025年7月14日から2025年9月10日
  • キーワード:穏健イスラーム、スーフィズム、タリーカ

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