京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 COSER Center for On-Site Education and Research 附属次世代型アジア・アフリカ教育研究センター
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
フィールドワーク・レポート

イスラーム経済におけるモラリティの理念と実践――マレーシアを事例として――

マレーシア工科大学のワクフ管財人から本を受け取る

対象とする問題の概要

 イスラーム経済においては、利子や不確実性を回避する金融取引とともに、共同体内での社会福祉の役割が強調されてきた。マレーシアは、21世紀のイスラーム金融をリードするイスラーム金融先進国であるが、イスラームの本来の理念からの乖離がしばしば批判されてきた国でもある。一方、21世紀に入り、イスラームの財産寄進制度であるワクフの再興が図られるなど、政府主導での社会福祉的、相互扶助的なシステム構築が目指されてきた。このような、イスラームに根差す社会福祉の実践は、マレーシアのイスラーム金融の成長・発展と不可分であり、イスラームの教えに従うという利己的なものと、共同体における相互扶助という利他的なものが混ざり合った形として構想される。さらに、マレー人、華人、インド人をはじめとする多民族で構成されるマレーシアにおいて、イスラーム経済の実践は、ムスリムの枠を超えた意味をもつものとして捉えることができる。

研究目的

 本研究の目的は、イスラーム的な社会福祉の、実際の社会経済活動における機能や影響の総合的な分析から、マレーシアにおけるイスラーム経済が立脚するモラリティを、現代イスラーム金融との関係性において発見することである。1回目のフィールドワークとなる今回は、主に以下の3点を小目的とした。1点目は、フィールドワークを行う上で必須の語学の習得である。語学学校に通い、マレー語の習得を目指した。2点目は、企業、大学への聞き取りである。今回は、ワクフを主に取り上げ、クアラルンプールとジョホールバルの2都市で、ワクフ管財人となっている企業や大学へのインタビュー調査を実施することとした。インタビューにおいては、ワクフとして設定されるプロジェクトの内容に加え、その特徴や対象、運用方法などについての質問を行うこととした。3点目は、関連図書の収集である。これは、主にクアラルンプールで行うこととし、イスラーム経済書を多数揃えている書店や大学の書籍部を訪問することにした。

Waqaf An-Nurが管理するイスラーム系質屋

フィールドワークから得られた知見について

 主にワクフ管理者へのインタビューを通して得られた知見に関して述べる。
 ジョホールバルに会社を構えるWaqaf An-Nurは、ジョホール州のイスラーム宗教評議会からワクフ管財人として指名されている会社で、会社の株式をワクフに設定するコーポレートワクフを行うJohor Corporationのワクフ管財人だ。Waqaf An-Nurは、主に11のワクフプロジェクトを行っている。中でも、少額融資を行うマイクロクレジットや、職業訓練、少額での医療提供など、市場で資金の流れ込みにくい場所へのサービスを通して市場に包摂される人を増やすようなプロジェクトに焦点をあてていた。
 ジョホールバルにあるマレーシア工科大学では、学内での資金調達のためにワクフプロジェクトを設定し、学内の給水設備や貧困学生への食料提供、盲目の学生のための学内設備、学内のモスクのカーペット設置など、必需ではないが、あれば充実する財・サービスの提供を行っていた。これらのプロジェクトは、貨幣の形でワクフを設置するキャッシュワクフでほとんどなされていたが、少額からでもワクフを設定できる、つまり、富者でなくてもワクフ設定者になれることが強調されていた。さらに、ワクフを行うために、給料からの控除を選択するスタッフも多いということだった。
 2つのインタビューから共通して得られた知見は3つだ。1つは、ワクフの持続性という特徴を担保するために投資の利益部分を利用しプロジェクトを行なっていることであり、その利益回収率が課題となっていた。2つ目は、ワクフ設定者も、プロジェクトの対象者もムスリムには限定されず、ワクフは共同体全体のために存在するとされていることだ。3つ目は、ワクフの管理を民間部門が行なっていたとしても、ワクフ設定の動機やワクフの持続を支えているのは中央・州政府の政策であるということに両者とも自覚的だということであった。

反省と今後の展開

 今回の調査の反省としては、まず、調査対象者を広げられなかったことが挙げられる。事前の想定では、各州のイスラーム宗教評議会、並びに金融機関にもインタビューを行う予定を立てていたが、人脈のないところでは面会の承諾をなかなか得ることができず、インタビューに至らなかった。調査を重ねる中で確実に人脈を広げ、協力関係を築いていく努力が必要である。今後は、今回の調査で手に入れた現地の文献を読み込み、マレーシアでイスラーム的な相互扶助システムがどのように議論・展開されてきたかを読み取る。また、マレーシアにおける、政府機関や銀行、組織、ワクフ管財人などの関係性、さらに、従来の社会保障や税制との関係性を整理する。その上で、今回の調査も踏まえ、イスラーム的相互扶助システムが立脚する理念・特徴について仮説をたて、それらが現実世界で持ちうる影響を考察するため、次回の調査でさらなる聞き取りを行う。

  • レポート:筒井 華子(2022年入学)
  • 派遣先国:マレーシア
  • 渡航期間:2022年8月1日から2022年9月8日
  • キーワード:マレーシア、イスラーム経済、ワクフ、モラリティ

関連するフィールドワーク・レポート

カメルーン農村におけるキャッサバ生産・加工の商業化に関する研究/住民によるキャッサバ改良品種の受容に注目して

対象とする問題の概要  カメルーン南部州のエボロワの近郊にある調査地では、政府、国際機関、日本の援助機関が森林保全、住民の現金収入の増加を目的にキャッサバ・プロジェクトを実施し、キャッサバの生産・加工の商業化を促進するため、多収で耐病性のあ…

ケニアにおける国民統合を求めて――SAFINAとPaul Muiteの歩みとその思想――

対象とする問題の概要  ケニアにおいて従来は流動的であった各民族集団への帰属は、イギリスによる「分割統治」を基本とする植民地支配と独立後の特定民族の優遇政策、特に不平等な土地分配を経て、固定性と排他性を帯びるようになった。こうした状況におい…

東アフリカと日本における食文化と嗜好性の移り変わり――キャッサバの利用に着目して――

研究全体の概要  東アフリカや日本において食料不足を支える作物と捉えられてきたキャッサバの評価は静かに変化している。食材としてのキャッサバと人間の嗜好性との関係の変化を明らかにすることを本研究の目的とし、第1段階として、キャッサバをめぐる食…

東ネパールにおける先住民族の権利運動――「牡牛殺し」に関する事件を事例に――

対象とする問題の概要  ネパールには先住民族が存在している。その多くは元々ヒンドゥーとは異なる自らの文化や宗教を実践していたが、1768年にシャハ王が現在のネパールと呼ばれる土地を統合して以降、ヒンドゥー文化を基準とした実践が強制されるよう…

スリランカにおける清掃労働者コミュニティの研究

対象とする問題の概要  スリランカの清掃労働者は地方自治体に雇用され、道路清掃やゴミ回収・処理を行っており、その集住集落には周辺住民や自治体職員から差別的なまなざしが向けられている。また廃棄物管理行政の中では主要なアクターとして捉えられてお…

ベナン国ジュグー市におけるNGOによるごみ収集の実態と課題――家庭におけるごみ収集の利用から――

対象とする問題の概要  サハラ以南アフリカ諸国の都市部では、ごみ収集が十分に確立されておらず、低所得者層は劣悪な居住環境で生活している。地方自治体には税収が少ないため、NGOが行政を補完する重要なアクターとなっているものの、NGOによるごみ…