現代イランにおけるイスラーム経済/ガルズ・アル=ハサネ基金を事例に
対象とする問題の概要 イランの金融制度は1979年のイスラーム革命に伴い、全ての商業銀行が無利子で金融業務を行うイスラーム金融に基づくものとなった。イスラーム金融は1970年代に勃興して以来成長し続けている反面、中低所得者の金融へのアクセ…
ソロモン諸島国サンタクルーズ諸島は同国テモツ州に属し、最東部に位置する島嶼群を指す。本研究はサンタクルーズ諸島のうち、域外ポリネシア[1](Polynesian outliers)の二つの島を調査地として選定した。第一調査地のNifiloliはテモツ州州都ラタから北東に約80km離れたリーフ環礁の環礁島である。第二調査地のTaumakoはラタから北東に約180km離れたダフ諸島の隆起性火山島である。
リーフ環礁からダフ諸島にかけてはVaeakau-Taumako語という同一系統のポリネシア諸語が話される[Næss et al.2007]。過去、Vaeakau-Taumako語圏の人類学、言語学、考古学研究は僅かに残されているが、生態学の視点から人類の活動を記述した研究は現時点で皆無である。本研究ではVaeakau-Taumako語圏に現時点で居住する人々の生活を概観し、将来的に人類生態学的な調査を展開していくための基盤を構築する。
[1] メラネシアやマイクロネシア地域の中に飛び地状に位置するポリネシア人が居住する島。
リーフ環礁およびダフ諸島では、三から四ヶ月間隔で運航される不定期船、もしくは個人手配の船外機付きボートを通じてのみ他島と人や物資の行き来がされる。一方、日々の生活で必要とされる食料や物資の多くは島内で自給自足的に生産される。このような外部との交流が一定の制限を受ける特殊な環境下において、人類の活動はその島の生態環境に大きく左右される。
未だ先行研究の乏しいNifiloliおよびTaumakoにおける人々の生態環境の記述は、離れた地域社会における人の生存戦略、適応を理解していく上でとても重要なモデルである。本研究では、NifiloliおよびTaumakoでの生態環境を概観し、人々が既存の島内環境をどのように利用し、厳しい生態環境に進化・適応しているのかを明らかにすることを目的とする。
NifiloliおよびTaumakoで得られた知見を島ごとに以下に述べる。
Nifiloliは南北に約2km、東西に約300m、最大標高は10mを下回る島である。約200人の人口で、人々は島の西側にのみ居住し、東側は有用植物からなる人工林であり、天然林は存在しない。周辺にはカヌーで移動できる範囲にFenualoaやPileniという島があり、作物や苗の交換や、コミュニケーションのための人々の移動が観察された。主食はパンノキとバナナである。家畜としてブタやニワトリを飼育しているが、クリスマスや冠婚葬祭など特別な時しか食べることは出来ず、普段のタンパク質源は海で獲れた魚貝類を主とし、稀に野鳥、ウミガメ、コウモリ、ニワトリの卵などを摂取していた。水資源は非常に乏しく、溜めた雨水を飲用・調理用に、海水が混じった井戸水をそれ以外の用途に用いる。
一方、Taumakoは南北に約8km、東西に約3km、標高は最高約300mの島である。島の外周にある3箇所の大きな集落のほか、小さな人工島の集落もあった。島の周囲には9つの島が存在するが、全て無人島である。人々は集落間を潮が引いている時は徒歩で、満ちている時はカヌーや船外機ボートを用いて移動する。主食はパンノキ、バナナ、キャッサバ、タロイモ、ヤムイモ、サツマイモなどバリエーションに富む。動物性タンパク質の摂取はNifiloliと同様である。水資源は豊かで、山の湧水を堰き止め各集落内に公共の水道を通している。海岸部から山の斜面にかけてはココヤシやビンロウ、バナナなどの作物を栽培し、中腹には畑を形成してイモ類を栽培、中腹から山頂にかけては建材用の木々が植えられていた。大きな島であるにも関わらずほぼ全ての土地に所有権が存在し、天然林を確認出来なかった。
以上のように、これらの島はお互いに異なる環境にありながらも、地形的・地理的な特性を活かして島本来の状態を改変することで、離れた環境においても適応できるよう人々の生態環境は創出されていた。
今回の調査においてNifiloliおよびTaumakoに居住する人々の生活の概観することができた。一方で人類生態学的な調査の為には人々の食事秤量調査や行動調査、健康状態調査が必要不可欠であり、次回の調査ではこれらの調査をおこなう。ダフ諸島においては周囲の無人島にどれほど人の手が介入しているのか、次回の調査で明らかにしたい。また国内で推し進める研究として、衛星画像を解析しつつ継時的な土地利用の変遷を調査する。将来的に可能であれば、ダフ諸島からリーフ環礁にかけて移動・拡散した人々の経路と年代を明らかにするべく、現代の居住者からサンプリングしたDNAを分子生物学的に解析することにより、局所的なポリネシア人の移動経路と年代をより正確に推定する試みも考えている。
【1】Næss, Å. & Hovdhaugen, E. 2007. The History of Polynesian Settlement in the Reef abd Duff Islands: The Linguistic Evidence, The Journal of the Polynesian Society Vol. 116, No. 4, 433-449
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