京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 COSER Center for On-Site Education and Research 附属次世代型アジア・アフリカ教育研究センター
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
フィールドワーク・レポート

人新世のイスラーム世界におけるムスリムの環境観と環境実践――エコ・モスクを事例に――

2020年に改築が完了し、グリーン化設備の導入がすすむイスティクラル・モスク

対象とする問題の概要

 近年、地球環境問題の深刻化を受け、イスラームの教義を取り入れた環境保護活動が活発化している。2億人以上のムスリム人口を持つインドネシアは、環境問題の文脈に即した新しいイスラーム理解を展開している。この新たなイスラーム理解を、報告者は「イスラーム環境倫理」の一端と捉えて研究している。インドネシアでは、イスラーム環境倫理と西洋近代的な環境倫理が、併存するかたちで、社会の諸側面に影響を及ぼしている。その物質的・政治的影響が顕著なのがモスクのグリーン化である。例えば、太陽光パネルなど環境配慮型設備の導入、自然換気や遮熱に特化した壁デザインの採用、あるいは環境保護を促す活動や説法が行われている。このように環境問題の解決に資するように改良・利用されるモスクは「エコ・モスク」(あるいはグリーン・モスク)と呼ばれており、欧米諸国や中東、東南アジア地域で注目を集めている。

研究目的

 モスクのグリーン化においてイスラームという要素の特殊性や有効性はどこにあるのか。本研究の目的は、エコ・モスク利用者の日常的な視点から、彼らの環境観と環境実践のなかにあるイスラーム性を明らかにしようとするものであった。調査対象のインドネシアでは2017年11月、官製宗教機関のインドネシア・ウラマー協会(MUI)とモスク協会(DMI)がエコマスジド・プロジェクトを開始した。これは生物と環境の相互関係を配慮した礼拝場をつくろうとするものである。エコ・モスクを推進する宗教指導者や実施者は、人々の環境実践を変える方法として道徳的アプローチが必要だと主張したうえで、モスクをグリーン化する意義は一般信徒への啓蒙にある、と述べている。モスク利用者はそうした意図を汲み取っているのだろうか。彼らの環境観と環境実践のなかで、どのようにイスラーム知とその他の知識とが、抵抗し合ったり、併存したりしているのだろうか。

受け入れ先のインドネシア・イスラーム国際大学キャンパス

フィールドワークから得られた知見について

 本研究の調査地はエコ・マスジド・プロジェクトにおいて認証を受けたモスクが密集するとされるジャカルタ首都圏である。主な活動内容は文献収集、エコ・モスク・プロジェクトの実態把握、そして調査協力者との関係構築の3点であった。報告者はインドネシア・イスラーム国際大学の学生寮に滞在しつつ、言語や生活の面で現地大学院生や教職員の方々の助けを借りながら上記3点を行った。
 まず、文献収集に関して「イスラームと環境」に関するインドネシア語の単著を20点ほど入手した。そのなかにエコ・モスクに注目した著作はない。しかし、これらの資料は、インドネシアの環境政策、および環境倫理の系譜のなかでイスラーム的なアプローチが、現地研究者からどのように評価されてきたかを概観するうえで欠かせない。二点目に、エコ・モスク・プロジェクトの実態把握に関して、報告者はエコ・モスクとして登録されたモスク9棟を訪問した。うち7棟では環境配慮型の設備を直接確認することができなかった。また、現地職員や利用者と簡単な会話をしたかぎりでは、殆どがエコ・マスジド・プロジェクトのことを知らない様子であった。MUIとDMIと異なる諸主体のなかで、誰が、どのように本プロジェクトに関与しているのか、ネットワークを把握することは今後の課題としたい。三点目として、長期的な調査候補地であるイスティクラル・モスクの職員だけでなく、インドネシア・イスラーム国際大学の現地教職員や大学院生と交流を重ねたほか、インドネシア最大の宗教社会団体ナフダトゥル・ウラマー(NU)が推進する環境教育事業の協定校であるプサントレン(イスラーム教育のための寄宿学校)との関係構築をするなど、今後の現地調査の基盤を固めることができた。

反省と今後の展開

 本渡航における課題点は二点ある。第一に、一般信徒の環境観、環境実践に関する本格的な調査はできていない。これには、滞在期間や取得ビザなど制度上の理由と、報告者の語学能力と質的調査方法の不足という能力的な理由があった。第二に、一般信徒を対象とした調査の難しさを実感したことである。報告者が出会ったモスク利用者の殆どがエコ・マスジド・プロジェクトや、国や宗教機関がモスクのグリーン化を進めている事実を知らなかった。知っていたのは、親族などモスク職員の身近な者のみである。もし今後も一般信徒の環境観に注目するのであれば、例えば、環境経済学などで用いられるシナリオ・ベースのアンケート調査のような調査方法を採用する必要がある。
 今後の展開として、インドネシアの環境政策という観点からイスラーム的なアプローチの役割と評価を知るために、現地語文献と先行研究の精読を行い、博士予備論文にまとめたい。

  • レポート:中鉢 夏輝(2021年入学)
  • 派遣先国:インドネシア
  • 渡航期間:2022年8月8日から2022年9月17日
  • キーワード:イスラームと環境、エコ・モスク、インドネシア

関連するフィールドワーク・レポート

マダガスカル・アンカラファンツィカ国立公園における保全政策と地域住民の生業活動(2018年度)

対象とする問題の概要  植民地時代にアフリカ各地で設立された自然保護区のコンセプトは、地域住民を排除し、動植物の保護を優先する「要塞型保全」であった。近年、そのような自然保護に対し、地域住民が保全政策に参加する「住民参加型保全」のアプローチ…

西アフリカにおける装いの実践 ――布を仕立てた衣服の着用にみる価値観――

研究全体の概要  西アフリカは、サブサハラアフリカの中でも布を仕立てた服の着用が多く見受けられる地域である。人々は市場で布を買い、布を仕立屋に持っていき、自分好みのスタイルに仕立てる。布で仕立てた服は日常着から結婚式などの特別着としてまで幅…

人々と樹木の関係性――タイにおける伝統的木造建築文化――

対象とする問題の概要  近代以前のタイは、人口に比して豊富な森林資源に恵まれていた地域であり、豊かな木造建築の文化が育まれてきた。寺院建築や華僑の建築には煉瓦も多用されるが、タイ族の伝統的な住まいは木造の高床住居である。またタイは精霊信仰の…

小笠原諸島におけるアオウミガメの保全と 伝統的利用の両立可能性に関する研究

研究全体の概要  アオウミガメ(Chelonia Mydas)は大洋州の多くの地域において食用として伝統的に利用されてきた(Kinan and Dalzell, 2005)。一方で、本種はワシントン条約附属書Iに記載される絶滅危惧種(EN、…

木炭生産者における樹木伐採の差異 /タンザニア半乾燥地の事例

対象とする問題の概要  タンザニアにおいて、木炭は主要な調理用エネルギーであり、農村部の人々の貴重な現金収入源である。森林資源の枯渇は1970年代から問題視されるようになり、以降、木質燃料と森林面積の減少を関連付けた研究が世界各地で実施され…