京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 COSER Center for On-Site Education and Research 附属次世代型アジア・アフリカ教育研究センター
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
フィールドワーク・レポート

分断期のベトナム共和国における仏教運動

写真1:殉教者記念塔(Đài Kỷ Niệm Thánh Tử Đạo)

対象とする問題の概要

 ベトナムの南北分断期(1954-1976)、ベトナム共和国(南ベトナム)の仏教徒は世俗と縁を切ることなく関わりを維持し、さらに世俗に介入さえした。例えば、1963年5月、国際仏教旗の掲揚禁止が発端となり仏教徒は大挙して、仏教を差別するゴ・ディン・ジエム政権に対する抗議運動を展開した。差別の是正を要求した仏教徒と、差別の存在を否定した政権とのせめぎ合いは、軍部がクーデターで政権を転覆させた後は、政治に対する仏教の立ち位置をめぐる仏教徒間のせめぎ合いに変化した。このような分断期の仏教運動に対して関心を寄せた研究者の多くは、仏教運動を冷戦や民族解放運動というイデオロギーの枠内で解明しようとしてきた。なぜなら、仏教徒の動向はベトナム共和国の政治・社会を動揺させ、ベトナム戦争(抗米救国戦争)の行方に非常に大きな影響を与えたためである。

研究目的

 筆者は、先行研究のようなイデオロギーの側面からではなく、社会と国家に対しての仏教の在り方をめぐる仏教徒の言説と動向に着目し、分断期の仏教運動の形成と変遷を明らかにすることを目的とする。なぜなら、彼らの言説と動向から激変する国内外情勢の中で仏教徒がどのように対応するか考えをめぐらせた経緯を垣間見ることができ、仏教徒の認識の変化から仏教運動の形成と展開を究明することができるためである。さらに、ベトナムの事例を通じて、東南アジア社会における宗教の役割、宗教と国家の関係を改めて考察する手がかりを得ることが期待できる。
 これまで日本国内で入手できる資料を中心に文献研究を行なってきたが、今回のフィールドワークではハノイ国家大学でのベトナム語の語学研修、ベトナム国家図書館などでの文献調査、そして分断期の仏教運動の舞台でもあったフエ市所在の仏教寺院探訪を計画し、実施した。

写真2:ティック・クワン・ドゥックに関する展示(ティエンムー寺院)

フィールドワークから得られた知見について

 筆者はベトナム語の語学研修とハノイのベトナム国家図書館などで文献調査を行ったが、以下では文献調査から得られた文献リストは割愛し、フエ市踏査で得られた知見を詳述したい。
 仏教運動の始発点であったフエ市には、1963年5月8日に生じた「フエ殺戮事件」の犠牲者を追悼する塔がある。それはフエ市の旧市街と新市街を繋ぐチュオンーティエン橋(Cầu Trường Tiền)の新市街側交点にある「殉教者記念塔(Đài Kỷ Niệm Thánh Tử Đạo)」である。同塔には「フエ殺戮事件」当時、公権力により命を奪われた8人の殉教者の名前が刻まれている。1963年6月中旬、ゴ・ディン・ジエム大統領が、仏教徒の強い反発の中、国旗と国際仏教旗を同時に掲揚する際、国際仏教旗は国旗より小さいサイズにするよう求めたことがあった。このような史実を考慮すると、同塔の前に国際仏教旗とベトナム社会主義共和国の国旗である金星紅旗が同一のサイズで掲揚されている様子は印象的に感じられる【写真1】。
 仏教運動当時、中心的な役割を果たしたのはトゥーダム寺院(Chùa Từ Đàm)であった。同寺院の庭の片隅にある碑文には、約300年にのぼる同寺院の歴史が記されているが、その中で、仏教運動についても言及している。碑文によれば、1963年の仏教運動の背景はカトリック教をほめそやすためにひどく仏教を差別し、仏教旗を蹂躙したことにあり、それに対する仏教徒の対応は「宗教の平等な自由を求める仏教運動(CUỘC VẬN ĐỘNG PHẬT GIÁO ĐÒI QUYỀN TỰ DO BÌNH ĐẲNG TÔN GIÁO)」であったという。また、仏教運動の跡が残されているもう一つの仏教寺院としては、現在多くの観光客が訪れる観光スポットでもあるティエンムー寺院(Chùa Thiên Mụ)が挙げられる。ティック・クワン・ドゥック(Thích Quảng Đức)という僧侶に関する展示があるこの寺院では、彼の生涯に関する説明文、1963年6月11日の焼身供養の前に乗った車【写真2】、焼身供養の様子を撮影した写真、そして焼身したにもかかわらず残された彼の心臓の写真が展示されている。

反省と今後の展開

 フエ市所在の仏教寺院は昔の状態を維持している寺院も少なくないが、筆者が訪れた寺院の多くは派手派手しく建て直されている所が多く、ティエンムー寺院以外の寺院は観光地というより信仰の場所として機能しているようであった。そのために、半世紀以上前の歴史的出来事の痕跡を調べるのは大変困難であることが、今回のフィールドワークを通じて分かった。
 このような問題の打開策としてはオーラル・ヒストリーが考えられる。今や分断期の仏教運動に直接・間接的に加わった仏教徒は次第に他界しているが、仏教界の内部では彼ら自身或いは弟子たちにより関連する物語が継がれている可能性がある。また、仏教運動は分断期に南側で引き起こされた事件であるが、ベトナム共和国の政権に反対して起こったものなので現国家側から見ると必ずしもタブーではない。したがって、次回のフィールドワークにあたっては当時を知る僧侶などを中心にインタビュー調査を行いたい。

  • レポート:金 知雲(2021年入学)
  • 派遣先国:ベトナム
  • 渡航期間:2023年2月7日から2023年3月16日
  • キーワード:1963年の仏教運動、ベトナム仏教、ベトナム共和国

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