京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 COSER Center for On-Site Education and Research 附属次世代型アジア・アフリカ教育研究センター
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
フィールドワーク・レポート

ブータンからオーストラリアへの国際労働移住―ブータン都市・農村・大学での調査報告―

東部農村バルツァムでのインタビュー調査(2023年3月1日)

対象とする問題の概要

 グローバル化が進む21世紀の社会において、世界各地の移民現象と移民社会に関する詳細な事例研究を蓄積することは重要な課題である。本研究においては、既往の学術論文で着目されていないブータンからオーストラリアへの国際移住を対象とする。ヒマラヤ山脈の南麓に位置するブータンからは近年、オーストラリアやカナダ、イギリス、中東などへの国際移住が増加している。その中で特に顕著なのがオーストラリアへの移住である。2022年7月1日からの半年間で6497人、2023年1月にはわずか1か月間で2000人のブータン人がオーストラリアへの教育ビザを取得した[The Bhutanese 2023]。本移住現象は、ブータンからのプッシュ要因の一つとして、Covid-19のパンデミックがブータン国内の経済不況を引き起こし、雇用機会や収入向上への移住に繋がった点があげられる。一方、移民国家オーストラリアのプル要因においてもパンデミックにより移民が減少し労働力不足になった点があげられる。時代背景とともにブータンとオーストラリア双方の地域社会の実態を踏まえた分析が求められる。

研究目的

 本研究では、ブータンからオーストラリアへの国際移住現象の背景や影響を明らかにするためブータン都市・農村・大学でのフィールドワークを実施した。
 本研究の目的は以下の2点である。1点目に、ブータンからの移住先としてオーストラリアが人気の要因を明らかにすることである。ブータンは1950年代まではチベットとの交易関係、1960年代以降の近代化政策においてはインドとの結びつきが色濃くみられる。オーストラリアとの外交締結は2002年と歴史が浅く、本研究ではどのような歴史的経緯でオーストラリアへの移住が急増しているのかを明らかにする。
 2点目に、本移住現象がブータンの都市・農村にどのような影響を及ぼしているのかを明らかにすることである。人口80万人弱の「小国」ブータンにおいて、本移住現象がブータンにもたらすインパクトは大きいと考えられる。ブータンからオーストラリアへの移民が本国に残してきた人々や社会への影響にも着目する必要がある。

首都ティンプーでのインタビュー調査(2023年2月2日)

フィールドワークから得られた知見について

 本研究ではブータンでの現地調査を2月初旬から3月中旬までの1か月半実施した。滞在場所は首都ティンプー、ブータン王立大学シェラブチェ校、東部農村バルツァムである。インタビュー調査は、オーストラリア留学経験者やオーストラリア移住者の家族、オーストラリア移住予定者、国家公務員、地方公務員、大学学長や講師、卒業生、学生、農家やJICAブータン職員など合計15名から幅広く行った。聞き取り内容は、インフォーマントや家族の経歴/移住歴、現在の職業や生活、今後の計画についてである。
1, ブータンにおいて移住先としてオーストラリアが人気である要因について
 ブータンとオーストラリアとの交流は1962年のコロンボプラン加盟を機に始まった。1970年代から奨学金制度を通じた人的交流が始まり、1970年代以降国費留学生のみで1000名以上オーストラリアへ留学している。そうした留学経験者らは現在ブータンの重要な役職を担っている。また現在のオーストラリア移住はパートナーの片方が私費で大学/大学院に就学し、そのパートナーが学費や生活費を稼ぐ場合が多い。学校の斡旋は教育コンサルタント会社が担い、その創設者らもオーストラリア留学経験者が多い。このようにブータンとオーストラリアとは歴史的な人的交流があり家族や友達の伝手をたどって移住する「連鎖移住」によって近年移住者が急増していると考えられる。
2, 本移住現象がブータン都市・農村に及ぼす影響
 首都ティンプーでの聞き取りからは詳細な内容は省略するが、医師・看護師・教師・国家公務員・エンジニア・観光ガイドなど多くの人材流出が見られた。
 一方、東部農村バルツァムの村長からの聞き取りによると、2019年までに少なくとも57名のバルツァム出身者がオーストラリアに移住し、2021年や2022年はさらに多いという。2017年の国勢調査でバルツァム在住者は1800名である点を考慮すると顕著な数字である。5年前に子がオーストラリアへ移住し、先月孫3人も移住した話も伺った。オーストラリア移住に伴う影響としては、送金による生活水準の向上の一方で、農作業での人手不足や儀礼の際などの精神的孤独につながる点も明らかになった。

反省と今後の展開

 今後の予定として、博士予備論文に向けて「ブータンからオーストラリアへの国際労働移住-高学歴エリート層の動向・意向に着目して―」というテーマで6月から9月に現地調査を実施する。ブータン王立大学のシェラブチェ校の4年前の卒業生によると、クラスメートの半数ほどがオーストラリアに移住しているとのことだった。次回の調査では、シェラブチェ校の学生への質問紙および聞き取り調査を通じて、家族のオーストラリア移住の現状と本人の今後の意向を明らかにする。これらと1960年代以降の人的交流の歴史的経緯を文献調査から明らかにし、本移住現象の過去・現在・未来を探る。さらに博士後期課程進学後は本移住現象を通してブータン都市・農村をとらえ直し、ブータンの動態地誌作成を目指す。また本研究は、JICA草の根プログラム「東部タシガン県における大学-社会連携による地域づくりに関する人材育成開発支援」と関連して行っている。本現象の背景や影響への考察を重ねることで、実践的アプローチについても検討していきたい。

参考文献

 The Bhutanese. 2023 (March 3), Australia rush, inflation and weak purchasing power impacts businesses, Retrieved 2023.04.06

  • レポート:菊川 翔太(2022年入学)
  • 派遣先国:ブータン王国
  • 渡航期間:2023年2月1日から2023年3月17日
  • キーワード:国際労働移住、連鎖移住、送金、頭脳流出、農村からの人口流出

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