京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 COSER Center for On-Site Education and Research 附属次世代型アジア・アフリカ教育研究センター
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
フィールドワーク・レポート

現代インドネシアにおける穏健イスラーム――スーフィズム・タリーカに着目して――

写真1 TQN PP Suryalayaのモスクの様子

対象とする問題の概要

 近年、イスラーム過激派と呼ばれる勢力が台頭する中で、各国において穏健なイスラームの在り方が模索されている。インドネシアでは2019年に公認宗教及びその他ローカルな信仰を対象とした宗教的穏健化政策(Moderasi Beragama)が発足され、現在も形を変えながら議論が継続している。
 こうした状況の中で、スーフィズムは重要なキーワードの一つとして注目されている。インドネシアの国際連合開発計画(UNDP)と国立イスラーム大学ジャカルタ校(Universitas Islam Negeri Syarif Hidayatullah Jakarta)の提携によって開始した「Convey Indonesia Program」という宗教的穏健化を目的とした教育プログラムでは、スーフィズムが一つの支柱となっていたり、現代社会における物質主義の傾向から過激な行動に走らないよう、精神面を重視するスーフィズムの重要性が説かれている事例も見られたりしている。
 以上の背景から、穏健イスラームの在り方やそれに関連するスーフィズムの役割は今後重要性を増していくと考えられる。

研究目的

 本研究は、イスラームの不寛容・過激といったようなイメージとは異なる穏健・寛容なイスラームの実態を、現代インドネシアを事例に明らかにする。特に本研究では穏健イスラームの中でも注目されているスーフィズムに加え、それと親和性の高いタリーカや聖者信仰の側面にも焦点を当て、穏健イスラームの多面的な実態を解明することを目的とする。
 また、インドネシアではスーフィズムが歴史的に受容されてきた背景があり、その展開は多様である。本研究では、穏健イスラームを考察するにあたり、これまでの伝統的スーフィズムにも着目しながら、インドネシアにおける穏健イスラームの特質とその可能性をより深く探求する。

写真2 TQN PP Suryalaya のワクフ団体が支援する農園の風景

フィールドワークから得られた知見について

 主な成果として、ジョコウィ大統領時代に発足された宗教的穏健化政策が、プラボウォ新政権に移行した後も、政府及び各イスラーム組織において多様な議論が展開されていることを確認できた点、そして調査対象としたスーフィズム教団(タリーカ)における、「穏健」や「寛容」といった語りを豊富に聞き取ることができた点が挙げられる。
 前者については、「宗教的穏健化政策(Moderasi Beragama)」がプラボウォ政権下では「公共の福祉に基づく信仰心(Beragama Maslaha)」と呼ばれる概念として新たに打ち出されていることが明らかとなった。これは穏健化だけでなく、社会の利益を追求するという点で、宗教的穏健化政策よりも包括的な内容となっているといえる。宗教的穏健化政策は本研究を継続する上で重要な背景となるものであったが、その内容は手を変え品を変え、現在もさまざまな議論が展開されている。調査を通じて、「穏健」というキーワード自体が本質的に変化することはないと考えられるが、今後の展開には引き続き注視していく必要性があるだろう。
 後者については、前者で検討した政府が掲げる宗教政策とは一度距離を置き、調査対象としたカーディリー・ナクシュバンディー教団(Tarekat Qadiriyah wa Naqshbandiyah Pondok Pesantren Suryalaya/TQN PP Suryalaya)の指導者を中心に、「穏健」や「寛容」の実態、その取り組みについて比較的自由に語ってもらった。その結果、当初注目していたスーフィズムの思想に留まらず、教団の組織力をもって展開されるワクフ活動、さらには「タンビー(Tanbih)」と呼ばれる教団独自のテキストが「穏健」や「寛容」といった用語で語られることも明らかとなった。以上から、彼らの語る「穏健」や「寛容」は、必ずしもイスラーム過激派と呼ばれる勢力を仮想敵とした穏健イスラームの枠組みに限定されるわけでなく、より普遍的な実態を指した場合にも適用されることが明らかとなった。

反省と今後の展開

 今回の反省点として以下の二点が挙げられる。一つは言語能力が十分でなかったこと、もう一つは指導者以外の対象者に対する聞き取り調査やアンケート等の定量的な調査を実施できなかったことである。次回の調査では語学力を向上させ、対象者の日常会話や文脈をより正確に把握し、参与観察に加え定量的なデータ収集と分析を行いたい。
 今後の課題としては、当初の分析概念であった「穏健イスラーム」という用語の適切性を再検討する必要がある点が挙げられる。公式には終了した宗教的穏健化政策であるが、現地の言説においては「穏健」や「寛容」という言葉が存在し、これらが誰にとっての「穏健」で、誰に向けられた「寛容」であるのかを明確化する必要がでてきた。また、調査対象者の言説をそのまま受け取るのではなく、研究者の視点からそれらをどのように判断し、表現していくかが、今後の調査対象者との関係性構築や研究活動において重要な課題となるだろう。

  • レポート:阪口 諒祐(2024年入学)
  • 派遣先国:インドネシア共和国
  • 渡航期間:2024年9月1日から2024年12月1日
  • キーワード:インドネシア、穏健イスラーム、スーフィズム、タリーカ(タレカット)

関連するフィールドワーク・レポート

カメルーン農村におけるキャッサバ生産・加工の商業化に関する研究/住民によるキャッサバ改良品種の受容に注目して

対象とする問題の概要  カメルーン南部州のエボロワの近郊にある調査地では、政府、国際機関、日本の援助機関が森林保全、住民の現金収入の増加を目的にキャッサバ・プロジェクトを実施し、キャッサバの生産・加工の商業化を促進するため、多収で耐病性のあ…

ジョザニ・チュワカ湾国立公園におけるザンジバルアカコロブスと地域住民との共存

対象とする問題の概要  調査地のジョザニチュワカ湾国立公園は、約50㎢と小さな国立公園だが、そこに絶滅危惧種のサル、ザンジバルアカコロブス(Procolobus kirkii) が生息している。その数は、わずか5800 頭あまりで、” 炭食…

マレーシアにおけるイスラーム型ソーシャルビジネス――その社会的起業の実態と傾向――

対象とする問題の概要  本研究の対象は、東南アジアで活発化しているイスラーム型ソーシャルビジネスである。特に今年度はマレーシアに注目して研究を進める。マレーシアでは、10年程前から社会的起業への関心が高まっている。2014年には社会的起業を…

ナミビア北中部におけるサンとオバンボの土地利用を巡る関係に関する研究

対象とする問題の概要  世界各地ではさまざまな先住民問題が発生しているが、中でも「土地」に関する問題はよく争点となっている。南部アフリカ一帯で遊動生活をしてきた狩猟採集民サンは、アフリカ地域における土地問題のでもとりわけ注目されてきた存在で…

ベナン国ジュグー市におけるNGOによるごみ収集の実態と課題――家庭におけるごみ収集の利用から――

対象とする問題の概要  サハラ以南アフリカ諸国の都市部では、ごみ収集が十分に確立されておらず、低所得者層は劣悪な居住環境で生活している。地方自治体には税収が少ないため、NGOが行政を補完する重要なアクターとなっているものの、NGOによるごみ…

ベンガル湾を跨ぐタミル系ムスリム移民のネットワーク――マレーシア・ペナン島における事例に着目して――

対象とする問題の概要  ベンガル湾沿岸地域は従来、海を跨ぐ人の移動を介して相互に繋がり合う1つの地理的空間であった。一方、近代国家体制とそれに基づく地域区分の誕生により、ベンガル湾の東西はそれぞれ東南アジアと南アジアという別の地域に分断され…