京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 COSER Center for On-Site Education and Research 附属次世代型アジア・アフリカ教育研究センター
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
フィールドワーク・レポート

ヒマーラヤ高地における景観の人類学的研究

写真1 森に埋もれゆく仏塔

対象とする問題の概要

 地球規模の環境問題が科学的かつ政治的に議論を呼ぶ事実となるなか、ヒマーラヤ高地は周極地域とならんで、気候変動の影響がとりわけ深刻に現れる場所であることがしばしば指摘される。しかし、この「新たなヒマーラヤの危機」をめぐる言説は、気候変動という事象が歴史的な権力関係に組み込まれていることを無視し、かつてのヒマーラヤ環境悪化理論と同様に、景観を外在的な視点から操作可能な単一の対象としてみなす傾向がある。ながらくヒマーラヤ研究の主流をなしてきた多くの民族誌においても、景観は人間の活動のたんなる背景か、資源、生産手段、あるいは「文化的」な意味を投影される「自然」として表象されてきた。こうした景観の対象化や自然化は、普遍的で単一の「自然」と個別的で複数の「文化」を分割する近代の存在論を敷衍したものであり、ヒマーラヤ高地における開発と保全を、ときに居住者の意思に反して強力に推進する装置となってきた。

研究目的

 この倫理的、存在論的、認識論的問題を再考するべく、本研究では従来の環境科学および民族誌を基礎づけてきた自然/文化、科学/政治、エティック/エミックの二分法を括弧にいれて、ヒマーラヤ高地の景観をかたちづくるものたち(人間、動物、植物、神霊、そのほかの事物)の生成と連関をたどって人類学的に記述する。景観は、外在的な物理的環境ではなく、タスクスケープ(相互に連動する活動のアンサンブル)の凝結として時間化される[Ingold 1993]。それは歴史的かつ生態学的な過程のなかで絶えず生成をつづけるものであり、人間と非人間、生命と非生命の境界をこえた連関の網の目そのものとしてとらえなおされる。本研究の目的は、ヒマーラヤ高地における景観の存在様態を関係論的にあきらかにすることをとおして、単一自然主義的な景観および環境の概念を問いなおすことである。

写真2 偶然の収穫物——キノコを見つける

フィールドワークから得られた知見について

 シェルパの少年は、ジュンベシ(Junbesi)の「100年前」の写真をわたしに見せた。はじめてこの村を訪れた外国人が撮ったんだと彼は言った。その黄みがったカラー写真のなかには一面の草地が広がっていた。現在の黒々とした森林に覆われた谷からは想像できない風景だった。ほんとうに100年前かどうかはわからないが、かつてこの谷には森林がほとんど存在しない時期があったのだ。
 森林の減少は、かつてヒマーラヤの「環境危機」の中心をなす問題だった。人口爆発と家畜の放牧の拡大が森林の荒廃、土壌の流出、そして下流域での災害をまねくという環境悪化理論は支配的なものとなった。見境のない人びとから「自然」を守るという大義のもと、国立公園や環境保全政策による生業活動の排除がおこなわれた。ところが、いまではヒマーラヤ高地の人びとは低地へ、都市へ、海外へと流出し、森林は人間の手を離れていく途上にある。そのようにもたらされた森林の「回復」はのぞましいことなのだろうか。
 森林はヒマーラヤにすまう人びとの多くにとって両義的に存在してきた。それは人びとにめぐみをもたらす場所であると同時に、人間ならざる存在者の領域でもある。村はずれの廃墟となった寺にはバンジャクリ(ban-jhām̐kri;森の呪術師)が現れるとジュンベシの人びとはいう。もしバンジャクリに運悪くも遭遇すれば、森の奥へと連れ去られてしまう。人びとがすまう場所はつねに更新されなければならない。村に三つある仏塔は1年にいちど、村の男たち総出で白く塗り替えられる。さもなければ場所は失われる。わたしは森に埋もれていく苔むした仏塔を目にした。
 ——森を歩いていたとき、ふとバハドゥール・ラマ氏はわたしを呼び止めた。かれはキノコをみつけたのだ。偶然の収穫物だった。これはスープに入れようと彼は言った。森林は完全に放棄されたわけではなかったのだと、わたしはおもった。

反省と今後の展開

 人類学を標榜する以上、人びと自身にとって重要な主題をあつかうことなくして、その研究の意義を語るのはほぼ無意味なことだろう。「景観の人類学」をかかげて調査をはじめて直面したのは、「景観」なるものは調査地の人びとにとって存在しないということだった。たとえば、雪山(himāl)、丘(pahāḍ)、森(ban)、川(khōla)、村(gāum̐)、畑(bāri)、道(bāṭō)にあたるものは存在する。しかし、それらの総体としての「景観」は存在しない。わたしは環境科学における景観の対象化や自然化を批判しつつ、みずから自然な対象として景観をまなざしていたのである。わたしは景観の概念を捨て去り、人びとの世界を構成するそれぞれの場所へとむかうことになった。今後の研究では、人びとが日常的に語ることをさらに真剣に受け止めていきたい。そのためには、共通語であるネパール語にくわえて、シェルパ語やタマン語など個々の言語の習得が必要となる。

参考文献

 Ingold, T. 1993. The Temporality of the Landscape. World Archaeology 25(2): 152–174.

  • レポート:𠮷田 巖嗣(2024年入学)
  • 派遣先国:ネパール
  • 渡航期間:2024年9月16日から2024年12月13日
  • キーワード:景観、森林、場所の放棄と更新

関連するフィールドワーク・レポート

ザンビア国ルサカ市都市周縁未計画居住区における し尿汚泥管理に関する実態調査

対象とする問題の概要  世界では、ピットラトリンや腐敗槽などの基本的な衛生施設を利用可能な人数は増え続けている[WHO/UNICEF 2023]。これらの施設を維持するためには、施設からし尿を引抜き、処理場まで輸送するための労働者(以下、「…

ミャンマーの少数民族カレンによる民族言語教育/バプティスト派キリスト教会に注目して

対象とする問題の概要  公定で135民族が居住するとされるミャンマーは、それゆえに民族共存にかかわる課題を擁しており、民族言語もその一つと言える。大きく7つに分類される国内の少数民族の1つであるカレンは、民族語カレン語の話者減少という問題を…

金融互助実践とコミュニティに関する研究――ジョグジャカルタのアリサンを事例に――

対象とする問題の概要  アリサン(arisan)とはインドネシアの人々が日常的に行うインフォーマルな金融互助実践のことあり、世界各地で共通してみられるROSCA(回転型貯蓄信用講)の一種として知られている。近隣住民や家族・親族、同業者などが…

焼物を介した人とモノの関係性 ――沖縄県壺屋焼・読谷村焼の事例から――

研究全体の概要  沖縄県で焼物は、当地の方言で「やちむん」と称され親しまれている。その中でも、壺屋焼は沖縄県の伝統工芸品に指定されており、その系譜を受け継ぐ読谷山焼も県内外問わず愛好家を多く獲得している。 本研究ではそのような壺屋焼・読谷村…