京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 COSER Center for On-Site Education and Research 附属次世代型アジア・アフリカ教育研究センター
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
フィールドワーク・レポート

インドネシアにおける労働災害に関する保険制度と運用の実際に関する調査

インドネシア大学にある社会保障研究所

対象とする問題の概要

 本研究の目的は、2015年7月に施行された新たな社会保障制度の一つである労働力社会保障制度とその実施機関であるBPJS Ketenagakerjaan(労働力社会保障実施庁)に着目し、その普及状況や現状に関する調査を行い、インドネシアにおける社会保障制度の在り方とその課題を示すことを目的とする。労働力社会保障実施庁の本庁はジャカルタにあることや加入対象の多くは企業等であることから様々な企業等が多く存在するジャカルタを調査対象地とした。
 本制度の施行に関しては、その実施に関する関連法案が施行直前である同年6月に相次いで成立したことから施行前より準備不足が指摘されており、正常な制度運営が疑問視されていた。すでに医療保険制度部門では巨額の赤字を計上しており、制度の運用状況は芳しくない。
 本調査の主たる目的は労働力社会保障制度であるが医療サービス等に関しては医療保険制度と重複するところもあり、その実施機関であるBPJS Kesehatanに対する調査も併せて行った。

研究目的

 本研究はジャカルタにおいて企業を中心に行政機関やNGOなど様々なアクターへ聞き取り調査を行い労働力社会保障制度の現状に関する調査を行った。企業に対しては事業規模によって分類し、それぞれの企業規模ごとの課題に対して調査を行った。また、新制度移行後の福利厚生制度の変容や労使関係の変化等も考慮に入れており、労働力社会保障制度を取り巻く諸問題に関して様々な側面から調査を行った。特にスハルト体制期において旧制度では保護の対象外とされていた零細企業やインフォーマルセクターの包摂は本制度の最大の試みであり、その包摂の進捗や課題を明らかにすることも本研究での大きな一つの目的である。

Trade Union Rights Centerの事務所

フィールドワークから得られた知見について

 今回の調査では前回の調査に引き続き社会保障制度をはじめ労働問題に取り組むNGOであるTrade Union Rights Center (TURC)、ジャカルタに本社を置く企業、Lembaga Ilmu Pengetahuan Indonesia(インドネシア科学研究所)や医療保険制度部門であるBPJS Kesehatanに対して聞き取り調査を行った。聞き取り調査はあらかじめ用意した質問票に応えて頂く方式とその場でのインタビュー形式での調査の双方を行った。場合によってはあらかじめ質問票を送り、回答の準備もお願いさせて頂いた。
 本調査によって制度施行後、数年が経過しているが様々な問題が確認されていることが明らかになった。例えば本制度の最大の試みであったはずの小規模・零細企業やインフォーマルセクターの包摂は進んでいない。一部の保険給付の支給要件にインフォーマルセクター等を包摂する仕組みとなっていないなど制度的不備も確認されている。特に地方では労働力社会保障実施庁の支所や事務所の数も限られており事務手続き行う場合に移動だけで1日以上を要する事例も確認されており、地理的な問題も憂慮すべき事項である。また、BPJS Kesehatanとの提携も規定上は存在するもののKesehatan側も独自にインフォーマルセクター等の包摂を進めるなど制度間においても連携は取れていない。
 その一方でNGOやNPOが中心となって労働力社会保障実施庁に対してインフォーマルセクター従事者等へ加入の勧奨を行うように提言を行い、企業側やインフォーマルセクターに対しても労働力社会保障制度に関する啓発活動や加入支援・加入継続活動が行われていることも確認されており、漸進的ではあるが制度の改善の兆候も見受けられる。さらに労働力社会保障実施庁から加入等に関する業務を委託されたAgen perisaiと呼ばれる保険募集・勧誘人を活用するなどの事例もある。このように労働力社会保障実施庁は様々なアクターと協力関係を構築しており、相互間にMOUや協定等も結び協力関係の拡大・構築に努めていることが明らかとなった。

反省と今後の展開

 この度の調査では様々なアクターへの聞き取り調査を行うことが出来た。特に企業においてはその事業規模に応じて労働力社会保障制度が及ぼす影響は多様であり、今回の調査によって凡その課題を把握することが出来た。また、特に小規模・零細企業やインフォーマルセクターの包摂はほとんど進んでおらず大きな課題を残しているといえる。今後はこの度の調査で協力頂いたインフォーマントへ引き続き協力を仰ぎ更なるデータの収集に努めたい。残念ながら新型コロナウイルスの影響もあって調査に関する調整が大幅に遅れ、場合によっては中止せざるを得ないこともあり調査に大きな支障が生じてしまった。やむを得ない面もあるが調査中に得た疑問の多くは未解決であり更なる調査は出来なかった。このような状況ではあるが、改めて日程や手段を調整し、今回インタビュー出来なかったインフォーマントに対して調査を行う予定である。

  • レポート:武田 剛(平成28年入学)
  • 派遣先国:インドネシア共和国
  • 渡航期間:2020年2月5日から2020年4月10日
  • キーワード:社会保障制度、労災保険制度、医療保険制度

関連するフィールドワーク・レポート

インドネシア・ケイ諸島における 伝統的水産資源管理慣行“サシ”の多角的評価/漁業協力管理体制の構築を目指して

対象とする問題の概要  近年のアジア諸国では急速な経済発展に伴い、水産資源の乱獲が非常に大きな問題となっている。水産資源の持続的利用に向けた取り組み、管理体制の構築は急務であり、国の枠組みを超えて議論が行われている。北欧諸国では、ITQ(譲…

木材生産を目的とする農林複合の可能性 /タンザニア東北部アマニ地域を事例に

対象とする問題の概要  アフリカ諸国では、高い経済成長を遂げたことで、人口が急激に増加している。家屋を建てた後に人々が求めるものは、ベッドやソファなどの家具であり、その材料には耐久性の優れた天然の広葉樹が用いられてきた。しかし、天然林への伐…

ウガンダ北部におけるうなづき症候群患者の日常生活と社会実践

対象とする問題の概要  アフリカにおけるてんかんへの医学的な研究は一定の蓄積があるが、てんかん患者の社会面を記述した文献はほとんどみられない。タンザニアで医師をしていたアール [1] は、タンザニアで彼女が診療した地域のてんかん患者は村人か…

現代ネパールにおけるサリーの多層性 ――ファッションとしてのサリー――

研究全体の概要  本研究の目的は、現代ネパールにおけるサリーの多層的な意味づけと、その意味を生成するサリーをめぐる実践の様相を明らかにすることである。地域ごとに多様な住民を「インド国民」として統合するインドのサリーとは異なり、近現代ネパール…