京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 COSER Center for On-Site Education and Research 附属次世代型アジア・アフリカ教育研究センター
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
フィールドワーク・レポート

現代インドネシアにおけるシビル・イスラム

イスラム・ヌサンタラに関する公開セミナーの様子

対象とする問題の概要

 現代インドネシアのイスラムは、人権や多元主義、宗教的寛容の尊重という自由民主主義の価値観から乖離しつつあると報告されている[Alexander 2018]。具体例として、中華系でキリスト教徒の元ジャカルタ州知事がイスラム教に対する宗教侮辱罪で投獄されたことを祝う大規模な行進、イスラムマイノリティーへの攻撃などが挙げられる。こういった行動は新興イスラム団体のみならず、「穏健」と評されてきた既存の団体やその支持者によって支えられていることが明らかにされてきた [Bruinessen 2018]。
 一方で20年前同国は、「ムスリムの思想家や活動家、団体によってインドネシアやムスリムが多数派であるその他の国々で推進される様々な公共倫理で、イスラム教の価値観や実戦を民主主義のそれに重ね合わせようとするもの [Alexander 2018; Hefner 2000] と定義されるシビル・イスラムが見出された国であった。当時このシビル・イスラムは公理として研究者のみならずイスラム知識人や政治家にも広く支持されていた。

研究目的

 本研究で明らかにしたいのは「どのような仕組みが、非民主主義的なイスラム思想を台頭させたのか」である。そのためにまず「シビル・イスラムが、どのようにしてインドネシアのイスラム言論空間で覇権を得ていたのか」、「どのようにして、その覇権を失ったのか」を調査する必要がある。この問題意識の下、インドネシア最大の宗教組織であるナフダトゥル・ウラマーと、インドネシアの中道派イスラムの思想を受け継ぐヌルホリス・マスジッド・ソサエティを訪問し、シビル・イスラム思想を牽引してきた団体が現在どのような状況におかれ、どのような活動をしているのかを調査した。

ヌルホリス・マスジッド・ソサエティの集会の様子

フィールドワークから得られた知見について

 約3週間の調査期間中、団体構成員へのインタビュー調査とかれらが直接的間接的に主催する活動に参加し、シビル・イスラムが死に絶えたわけではないことを2つの集会の参加を通じて確認した。加えて、「シビル・イスラムの趨勢と国家イデオロギーであるパンチャシラの強制度は連動するのではないか」という新たな問いを得た。
 第一に、筆者は、ナフダトゥル・ウラマーが運営するインドネシア・ナフダトゥル・ウラマー大学の公開セミナーに参加した。そこでは「イスラーム・ヌサンタラ」という思想が議論されていた。同団体の中でも昨今の保守化、アラビア化に違和感を持つ派閥が、元来帰属意識を持ってきた地域文化に根ざすイスラムを「イスラム・ヌサンタラ」と名付け、ドクトリン化を試みている。議論では寛容であることが特に強調されていた。保守化が論じられるも内部は一枚岩ではなく、民主主義的価値観に近しい思想が活発に議論されていることを確認した。
次に、ヌルホリス・マスジッド・ソサエティが月に一度主催する集会に参加した。同コミュニティは、開かれた対話を重要視しており参加した集会も主催側が一方的に思想解釈を講義するのではなく、聴衆からも広く意見を募集し参加者全員で議論を進めていた。これはまさにヘフナーが論じた、団体への参加度の高さが民主主義へ導くのではなく、その団体内での実践やディスコースが民主的であることが重要であり、それがイスラム団体によって促進されているという主張に一致する。
 また、インタビュー調査を通じてナフダトゥル・ウラマー「イスラム・ヌサンタラ」もヌルホリス・マスジッド・ソサエティの思想も、インドネシア国家イデオロギーであるパンチャシラを強く支持する思想であることを再認識した。民主化以降、パンチャシラは権威主義体制のようにその圧倒的存在感を社会に示すことができなくなった。ここに、シビル・イスラムの没落との連動を感じた。

反省と今後の展開

 反省点は2点ある。第一に、3週間と短い調査期間だったため、集会への参加が制限された。加えて、主催者および参加者へ十分な聞き取り調査を実施できなかった点である。第二に、今回の渡航は公式の調査許可を利用しない予備調査であったために、資料収集に支障が出てしまった点である。次回は調査許可を携え長期調査を実施したい。
 今後は今回の調査で得た「シビル・イスラムの趨勢と国家イデオロギーであるパンチャシラの強制度は連動するのではないか」という問いを深めていきたい。

参考文献

【1】Alexander R. Arifianto. 2018. 「シビル・イスラムはどこへ向かうのか?ポスト・レフォルマシのインドネシアにおけるイスラム主義の高まりについて」<https://kyotoreview.org/issue-24/rising-islamism-in-post-reformasi-indonesia-jp/>(2020年3月31日)
【2】Bruinessen, Van Martin. 2018. Indonesian Muslims in a Globalising World: Westernisation, Arabisation, and Indigenising Responses. S.Rajaratnam School of International Studies Singapore. No.311
【3】Hefnar, Robert w. 2000. Civil Islam:Muslims and Democratization in Indonesia. Rinceton, NJ: Princeton University Press.

  • レポート:加藤 舞(平成30年入学)
  • 派遣先国:インドネシア共和国
  • 渡航期間:2020年2月23日から2020年3月15日
  • キーワード:インドネシア、シビル・イスラム

関連するフィールドワーク・レポート

マダガスカル・アンカラファンツィカ国立公園における保全政策と地域住民の生業活動(2019年度)

対象とする問題の概要  植民地時代にアフリカ各地で設立された自然保護区のコンセプトは、地域住民を排除し、動植物の保護を優先する「要塞型保全」であった。近年、そのような自然保護に対し、地域住民が保全政策に参加する「住民参加型保全」のアプローチ…

セントラル・カラハリ・サンの子ども社会への近代教育の影響――ノンフォーマル教育の事例から――

対象とする問題の概要  1977年より、ボツワナ政府は、民主主義、発展、自立、統一を教育理念に掲げてきた。1970年代中頃まで狩猟採集を生活の基盤としていたサンの社会は、政府の定住化政策によって、管理、教育、訓練の対象となってきた。こうした…

福岡市における既存/新規屋台をとりまく制度と社会関係の構築

研究全体の概要  本研究では、福岡市で2017年以降に新規参入した屋台と既存の屋台[1]が自治体や顧客、異業種の事業者とどのように社会関係を構築するのかを調査する。また両者の公式/非公式な制度の受容と醸成過程に着目する。 2021年10月1…

ニジェールにおけるクルアーン学校の制度とイスラームを学ぶ子どもたち――ニアメ市のマカランタX校を事例に――

対象とする問題の概要  ニジェール共和国では95%以上の国民がムスリムであるため、人々はクルアーンを暗唱して、イスラームの知識を修得し、イスラームの知識にのっとった生活をすることで安定した社会を構築しようとしている。長らく、クルアーン学校に…

コンゴ民主共和国の焼畑農耕民ボンガンドにおける環境認識/景観語彙の分類から

対象とする問題の概要   本研究の調査地であるワンバ周辺地域は、コンゴ民主共和国中部の熱帯雨林地帯に位置する。大型類人猿ボノボの生息地である当地域では、1970年代より日本の学術調査隊がボノボの野外調査を始め、現在までおよそ40年…

小笠原諸島において気候変動の影響をうけるアオウミガメの保全と利用

研究全体の概要  小笠原諸島は気候変動の影響を受けやすいアオウミガメの世界的な産卵地として知られている。そしてまた、アオウミガメの保全と食利用が同時におこなわれている珍しい地域である。しかしながら、アオウミガメの保全と食利用についての包括的…