スリランカ内戦後のムスリム国内避難民(IDPs)についての研究/女性の視点から考察する国内避難民の社会変化
対象とする問題の概要 本研究では1983年から2009年のスリランカ内戦において、タミル武装勢力により故郷を追放され国内避難民(IDPs)となったムスリムのコミュニティに焦点を当てる。シンハラ対タミルの民族紛争の構造で語られることの多いス…
インド・タミルはスリランカに居住するタミル人のうち、英植民地時代に南インドから移住した特定のカースト集団をルーツにもつ者を指す。そして、その多くが紅茶等のエステート(=プランテーション)労働者であることからエステート・タミルと同意で用いられることが多い。エステート・タミル対しては、主要産業における労働力であることや、インド政府の干渉もあって福祉政策がとられてきた。その一方、エステート・タミルは、市民権の剥奪や、マジョリティであるシンハラ人への雇用創出のための追放政策の対象にもなり、時代によって様々な政策に翻弄され、その存在は支援や研究の対象にもなってきた。本研究の対象であるインド・タミル清掃労働者は、地方自治体に雇用され、道路清掃、廃棄物回収・処理の現場作業を担当している者たちである。そのルーツにおいてはエステート・タミルと共通しているにもかかわらず、エステート・タミルとは異なり、政策や研究の対象にその名を見出しにくい。
研究対象は否定的なレッテル貼り等、差別的な扱いを受けることが多く、居住地や職業選択が限定されており構造的差別に晒されていると言える。こうした状況に社会的運動をもって抗するにあたっては自己範疇化し組織化をする例が多く見られる。エステート・タミルについては労働組合が結成され、政治的利益を代弁する政党が作られた。(それらが労働者の利益を真に代弁するものでるかはここでは問題にしない。)またインドの清掃労働者カースト(ダリト)は権利の主張のためにアイデンティティ・ポリティクスを展開している。しかし、スリランカのインド・タミル清掃労働者にはそういった動きは見られない。このような状況の中でインド・タミル清掃労働者がいかに、差別的なまなざしの中で、生き抜いているのかを知ることが本研究の目的である。
インド・タミル人清掃労働者の数少ない先行研究では、1920年代以降、地方自治政府が整備された際に、清掃労働者として集団移住した特定のカースト集団がその最大のルーツであることが指摘されているが、その詳細は明確ではない。彼らに関して現在の差別的状況の現出、政策や研究による対象化=範疇化されてこなかった要因、また自己範疇化による社会的運動を行ってこなかった要因については、そのコミュニティのルーツについて詳細を明らかにし、考察することが不可欠である。そのため、今回の調査では清掃労働者コミュニティの構成員の系譜とその出生地を中心に聞き取り調査を行った。
調査は北西部州クルネーガラ県クリヤピティヤ町の清掃労働者集落を中心に、上述の先行研究の調査地でもあるキャンディ県キャンディ市マハイヤーワ地域でも行った。クリヤピティヤ町の清掃労働者コミュニティの世帯数は103世帯であり、最終的には全世帯調査をする予定であるが、今回はこのうち15世帯ほどから話を聞いた。一方、キャンディ市マハイヤーワ地域では10世帯程度から話を聞くことができた。
コミュニティの構成員の出生地については近隣地域のほかに、紅茶エステート地域やスリランカ・タミルの多く居住する北部州、東部州等、多岐に渡ることが判明した。これはそれらの地域にも、歴史的にインド・タミル清掃労働者コミュニティと何らかの繋がりを持つコミュニティが存在することを示しており、それらはカースト、職業等において連続性を持つ者たちである可能性が高い。
今回のフィールド調査では、清掃労働者コミュニティのルーツを明らかにするという目的が先行してしまい、今後必要となる、清掃労働者の置かれた差別的状況の客観的な検証に必要となるコミュニティ構成員の学歴や、カースト等に関する聞き取りができなかった。次回のフィールド調査時にはインタビュー項目の事前検証を十分に行いたい。
また、現地で手に入る資料の収集について、今回の渡航では目的として重視していなかったために準備不足で国立公文書館等必要な施設への訪問ができなかった。歴史的な事象については聞き取りだけではなく文書資料も不可欠であるため、次回以降は資料収集についても念頭に置き、事前手続きを十分に行いたい。
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