イブン・アラビー学派の思想史的展開――前近代インドを中心に――
対象とする問題の概要 私はスーフィズム(イスラーム神秘主義)、特に16,17世紀南アジアで活躍したMuḥibb Allāh Ilāhābādī (ムヒッブラー・イラーハーバーディー)(1587/88-1648)のイスラーム神秘主義思想を研…
本研究では、イスラームの代表的スーフィーであるイブン・アラビー(d. 638/1240)の思想が、南アジアにおいてどのように受容されてきたのかを明らかにすることを目指す。その際、19-20世紀インドのウラマー・スーフィーであったアシュラフ・アリー・ターナヴィー(d. 1362/1940)のウルドゥー語著作に焦点を当てる。南アジアにおけるイブン・アラビー学派に関する網羅的な研究としてチティックの論考があるが、ここではウルドゥー語文献についての言及がほとんどない [1] 。ウルドゥー語は、19世紀後半以降インドで隆盛したイスラーム改革運動における出版物の主要言語として用いられ、運動の思想拡散に大きな役割を果たした [2] 。したがって、南アジアにおけるイブン・アラビー学派の全体像を明らかにするためには、ターナヴィーの『叡智の台座』(イブン・アラビーの主著)のウルドゥー語注釈書や、その他のスーフィズムに関する著作の分析を通した研究が不可欠であると言える。
[1] William. C. Chittick, “Notes on Ibn al-‘Arabī’s Influence in the Subcontinent,” The Muslim World 82(3-4), 1992, pp. 218-41. チティックは、ウルドゥー語で書かれたイブン・アラビー関連の作品について、「(ウルドゥー語著作は)イブン・アラビー思想を大衆に広める役割を果たした」と述べるにとどまっている。
[2] Barbara D. Metcalf, Islamic Revival in British India: Deoband, 1860-1900. Princeton: Princeton University Press, 1982, p. 102.
本研究の目的は、アシュラフ・アリー・ターナヴィーが遺したスーフィズムや存在一性論に関する著作の分析を通して、南アジアにおいてイブン・アラビーの思想がどのように受容されてきたのかを明らかにすることである。ターナヴィーのスーフィズム観に関しては、『タサウウフの重要性についての開示』を、存在一性論に関しては、『叡智の台座』のウルドゥー語注釈書『叡智の台座の解明に関する特別な言葉』を主な資料として用いる。また、ターナヴィーはイブン・アラビー擁護の書『イブン・アラビーのタンズィーフに関する喜びの訓戒』も著しており、この著作はターナヴィーによるイブン・アラビーの評価や二人の関係性を理解する上でも重要である。また、本研究では、これまで明らかにされされてこなかった、ターナヴィーの神秘思想が当時のインド・ムスリム社会にどのような影響を与えたのかということの解明も目指す。
1カ国目のイラン・イスラーム共和国(7月18日から9月5日にかけて滞在)においては、テヘランにて1コマ2時間のペルシア語の個人授業を週4回受講した。授業では、なるべく自然なペルシア語を話せるよう、発音の基礎から徹底的に教わった。日本でペルシア語を学んでいた時には身に付かなかった発音テクニックを現地で習得することができたのは、今回のフィールドワークの収穫の一つと言える。語学の合間に行なった文献収集では、スーフィズムやイスラーム哲学に関する書籍を多く扱うモウラー出版に何度か足を運び、イブン・アラビーやイブン・アラビー学派の思想家のペルシア語著作などを入手した。
2カ国目のパキスタン・イスラーム共和国(9月6日から9月20日にかけて滞在)においては、スーフィズムやイブン・アラビー、また報告者の研究対象であるターナヴィーに関するウルドゥー語文献の収集を行なった。2週間の滞在で、カラチ、ラホール、ラーワルピンディーの3都市を訪れた。ラホールにおいては、書店街のウルドゥー・バザールにてターナヴィーのウルドゥー語著作を20点近く入手することに成功した。ラーワルピンディーのイブン・アラビー財団においては、イブン・アラビーの著書のウルドゥー語訳を、出版されているもののほとんど(一部在庫切れのものあり)を購入したほか、財団の研究者とイブン・アラビーや報告者の研究テーマに関する興味深い議論を行うことができた。
パキスタンの文献収集で得た知見としては、書店員がどこも協力的であるということである。彼らに「こんなジャンルの本を探している」と伝えると、関連書籍を大量に持ってきて、「ここに座って本を見てもいい」と言ってくれるので、非常にスムーズに買い物が進むことが多かった。今回は滞在期間が2週間と限られていたが、次回の渡航の際には、より多くの書店を回ることができるよう、長期間での滞在を計画するつもりである。
イランでのペルシア語の個人授業においては、発音と会話に重点を置いたため、報告者が本来必要とする資料の読解力を十分に身に付けることができなかったことが反省点として挙げられる。文献収集に関しては、報告者の事前の調査不足が原因となり、テヘランに新しくオープンした大型書店「テヘラン・ブックガーデン」の存在を帰国直前まで知らず、訪問する機会を逃してしまったことである。もし再びイランに渡ることがあれば、是非とも訪問しておきたい。
パキスタンにおいては、滞在日程がイスラームの宗教行事のアーシューラーと重なり、図書館や書店が閉鎖される9月9、10日は調査が行えなかったことが反省点として挙げられる。これは報告者の日程調整不足によるものであり、渡航前の入念な調査日程作成の重要性を思い知らされた。また、今回は刊本の入手を重点的に行なったが、次回は研究の幅を広げるために図書館や文書館での写本調査も行なっていきたい。
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