京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 COSER Center for On-Site Education and Research 附属次世代型アジア・アフリカ教育研究センター
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
フィールドワーク・レポート

タンザニアの稲作農村でみられた生産資源のアフリカ的集約化について

写真1 材木や土嚢を用いた小さな堰堤

対象とする問題の概要

 アフリカの経済が急速に成長する裏側で、農村の生活もまた市場経済の動きに巻き込まれ、農村の不安定化、生態環境の劣化、経済格差の拡大など、人々の生存基盤を脅かす深刻な問題が進行している。こうした課題を克服するために、アフリカの各国政府や支援機関は生産性の向上を目指して農業の近代化を推進してきた。しかし、すべての地域がこうした支援を受けられるわけではなく、そうした改変が持続的な発展をもたらすともかぎらない。加えて世界の生態環境や社会の状況がつねに変化していることを考えると、「持続的な農業」はそれぞれの時代と場所で、それぞれの自然や社会に適合した独自のシステムが構想・創出されなければならない。アフリカの多くの地域では、住民の内発的な取り組みが農村の食料自給と生計を支えてきた。優良米の産地として知られるタンザニア南部のムベヤ州キエラ県もそうした地域の1つである。

研究目的

 調査地のキエラ県では、雨水と河川の氾濫を利用した天水稲作を食料自給の基盤としながら、近年の経済事情を反映して、河畔の低湿地において乾季の灌漑稲作がひろまりつつあった。この地域の農民は、漁撈のために使ってきた在来の堰を灌漑用にアレンジして、独自の灌漑システムを創り上げた。田園のなかを流れる小川に材木や土嚢を用いた小さな堰堤を設けて水位を上げ、あふれ出した水を水田に引き入れていったのである。
 近年では、大規模な土木工事を必要とせず、化石燃料にも依存しない、自然に優しい在来の方法をベースにした農業発展が見直されている。土嚢を用いて川を堰き止める小規模な灌漑システムはアジア各地でみられたが、アフリカ大陸ではあまり発達してこなかった。調査地のように独自の灌漑システムが創り出されて、土地が集約的に利用される事例はめずらしい。本研究は、タンザニアの稲作地域における農耕体系の変遷を分析し、生態環境や社会経済の変化に対応しながら、農耕様式を柔軟に変化させていったプロセスの解明を目的としている。

写真2 水田沿いのカカオ園

フィールドワークから得られた知見について

 フィールドワークの成果として、以下のことが明らかになった。
1. 灌漑稲作の形成プロセス
 川を堰き止めて水位を上げることによって、小規模な灌漑施設がつくられた経緯には、キエラ県の住民が古くから漁撈をおこなってきた背景があった。始まりは村人の男性が旅先で近代的な灌漑施設を初めてみて、灌漑農業の可能性に啓発された。そこで彼は灌漑技術を参与観察から学び、村に帰ったあとに自分の土地で乾季の灌漑稲作に取り込んだ。旅先の灌漑施設では、河川から水を引くのに鉄のゲートやコンクリートなどが使われていたが、農村では入手しにくいため、代わりに川の漁で使用していた堰をこころみた。試行錯誤の末に乾季の灌漑は成功し、イネの二期作が可能になった。彼の成功をみていた周りの人たちからもその方法を模倣するようになり、そのうち灌漑稲作の技術は調査地域一帯に浸透し、高度に集約された稲作が展開されていった。
2. 農耕体系と作物の変遷
 灌漑によって土地利用の集約性は高まったが、堰堤の造成から月日が経つにつれて灌漑の欠点、つまり川床への土砂沈積が眼立つようになってきた。コンクリートで堰を築いた場合、土砂の除去と堤防の強化は定期的に実施せざるを得ないが、調査地では土砂の堆積に積極的な対策は講じず、そのまま放置したことで土砂が川床を埋め、やがて河道が変わって灌漑できなくなってしまった。農民は土砂に埋まった堰堤を放棄し、新しい川筋に別の堰堤をつくっていった。そして、灌漑できなくなった水田では肥沃な土砂と伏流水を利用し、インゲンマメやバナナなどの畑作物を育てるようになった。さらに、バナナの株本にカカオの苗を育てたりもする。栽培から5年を立てば、カカオも実をつけるようになり、旧河道沿いの農地はカカオ園に転換していった。彼らが自然にあらがわずに灌漑稲作を簡単に諦めてカカオ栽培にシフトしていった背景には、近年のカカオ価額の高騰が関係していることが分かった。農民の間ではカカオ園を広げようという動きも出始めている。

反省と今後の展開

 人口の増加が著しいアフリカにおいて、農業の集約化は避けることができない課題である。工業資材や農耕機械に頼れない地域はまだ多い。そういう農村において農業の集約化を構想するうえで、キエラ県の灌漑事例は多くのヒントを与えてくれる。申請者がこれまでに実施した研究により、灌漑農業の実態は明らかになりつつあるが、このアフリカ的で集約的な土地利用を成立させた社会内部の要因、たとえば生業・生態・社会の関係はまだ十分にわかっていない。これからの研究では、堰堤の設置と土砂の堆積が農村社会や生態環境へ与えるインパクトに焦点をあてながら、調査地でみられた集約的な資源利用について調査していく。

  • レポート:瞿 黄祺(2015年入学)
  • 派遣先国:タンザニア連合共和国
  • 渡航期間:2024年11月19日から2024年12月27日
  • キーワード:熱帯稲作、灌漑、農村研究

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