ザンビアの農業政策における情報技術の導入と農村生活
対象とする問題の概要 World Food Programme [2016] によると2016年8月現在、アフリカ南部ではエル・ニーニョ現象が深刻な干ばつの被害をもたらし1,800万人が栄養失調と飢餓に直面している。アフリカ南部最大の穀倉…
アフリカ現代美術は,『大地の魔術師』展(89年パリ・ポンピドゥセンター)を契機として欧米のアートワールドで大きく扱われるようになった。「黒人美術」「原始美術」における「原初」性「神秘」性のみの称揚といった批判に対応し,『大地の魔術師』は,まさに「我々と同じ時代に生きるアフリカ人の作品」を展示する画期的な試みだった。キュレーターA.マニャンにより「発見」されたシェリ・サンバを始めとするキンシャサ出身の独学の路上画家たち―彼らは自分たちの制作をアール・ポピュレール(大衆芸術)と自称した―はその後の「アフリカ現代美術ブーム」において、一躍スターとなった。しかしこの展示及びそれ以降の「ブーム」は,独学の芸術家ばかりクローズアップしたことで新たな批判を浴びる。西洋的な美術教育を受けない者が・本能的に・独特の感性で制作する―「純粋なアフリカらしさ」の称揚には,依然アフリカへの偏見がひそんでいる,と。
パリでの新たな「アフリカ美術ブーム」。その渦中のアクターと出会い,その動き方と様々な側面を体感できた。同時代の美術には同時代のグローバル化した世界が反映されている,すなわち,実に多極的に展開していて,誰がどの極に属しているかは,国籍や芸術的ステータスとは相関があまりない。「地域の視点」と「ヨーロッパの視点」と言う時,近代のシステム(従属論が描いたような)を前提として美術を大きく捉えようという頭の中を,一度作り直したほうが良いと感じた。
アール・ポピュレール:
絵の路上販売の実態,美術としての「発見」以降、絵描きたちが徐々に路上から姿を消したこと,が聞き取れた。「アール・ポピュレールはもう終わった」と言う人さえいた。彼らが国際的認知を得るに従い,キンシャサのアカデミックな人々の間で「職人から芸術家」へ認識が変遷したらしいことも確認できた。
展示表象:
「コンゴの美」展に対抗し,それが語り逃した表象を語ろうという展示の試みが相次いでいる。地域の文脈に結び付けて語ったCongo Art WorkをSammy Balogiらがベルギー等で開催。EddyEketeらは、2018年ドイツにてコンゴの美術展を開催する予定であるという。コンゴ国内で「アートマーケット」を作ろうという動きもある。EddyEketeは、毎年7月にKinActというパフォーマンスアートの祭典を路上で開催する。またパリのAngaliaギャラリーは,コンゴ国内のカウンターパートギャラリーと協同し,芸術家を発見・育成。SammyBalojiはルブンバシに美術館を設立した。また国内には画商・ギャラリーが増えつつある。
・そもそも現代美術においては,デジタル技術の登場や手段の多様化により,「アカデミック」な美術教育の意味が小さくなっている。「ファインアート」の境界も揺らいでいる。同時に作品を展示し売り飾るインフラが実に多様である。
先行研究によれば,植民地期から,コンゴの都市部では路上の絵描きの絵を部屋や飲食店に飾っていた。それは,鑑賞よりそれを契機とした会話の促進が目的・タイムリーな話題等を描き・一時的に消費され・「作者」の概念も曖昧であるという点で,「絵画」とは異なる,エンタメとアートとデザインの間の何かであった。「アール・ポピュレール」はそうした「絵」の活動から出てきた。そして今も,EddyEketeは「アートであるとは認識せずに,人々はパフォーマンスをキンシャサのそこら中でやっている。そのギャップにKinActで橋を架けたい」と言う。「捉えようによっては芸術と言えるもの」と日々接するキンシャサのアーティストに,「アール・ポピュレール」の発見はどう映っているのかを調べていきたい。
最後にこの「アート」の境界の不思議な広がりは,日本の近代以降現在に続く状況にもまさに当てはまり,その説明にも関わるものだと感じる。
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