京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 COSER Center for On-Site Education and Research 附属次世代型アジア・アフリカ教育研究センター
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
フィールドワーク・レポート

日本における「無国籍」者の生活実態 ――国籍、入管法、在留資格制度の狭間で――

「クルドを知る会」日本語教室にて

研究全体の概要

 本研究は、国家による保護がない「無国籍」状態の人々が、いかに無国籍となり、国家が制定する法律や制度枠組みの中でいかに生きているのかを明らかにすることを目的としている。本研究では、人口流動性の高いボルネオ島北部のブルネイにおいて、国家形成に伴い発生した無国籍者を主な対象とするが、その比較材料として、日本における在日クルド人に対しても、今回の調査で参与観察やインタビューを行った。ブルネイの無国籍者については、アジア経済研究所で収集したブルネイの新聞Borneo Bulletinの記事をもとに、いかに国家が保護する「国民」の範疇が形作られていったのかを今後検討していく。一方、埼玉県蕨市や川口市等を拠点に、在日クルド人に対する調査においては、彼ら・彼女らの生活に最も影響を及ぼすのは、国籍よりもむしろ在留資格や住民登録の有無であることがわかってきた。

研究の背景と目的

 日本を含め世界には、国籍がない人々、つまり国家による保護がない「無国籍」状態の人々が存在する。行政の管理網に捉えられない彼ら・彼女らは、その実数や生活実態が把握されにくい。一方で、グローバル化が進む今日、国家を越えた移動の際などに、国家間の関係や居住国家の移民・統治政策に影響を受けやすい側面もある。このような人々がいかに「無国籍」となったのか、また、「無国籍」者は国籍や法律などの制度の狭間で、どのように生きているのか。上記の問いについて、本研究ではブルネイと日本の事例を比較しながら考察を行う。今回の調査では、千葉県に所在するアジア経済研究所図書館にてブルネイの無国籍者についての新聞記事などの資料収集を行うと同時に、埼玉県や東京都において、在日クルド人コミュニティを中心に、日本語教室などにおいて参与観察・聞き取りを行った。

クルド人家庭訪問時に出された昼食

調査から得られた知見

 埼玉県川口市市役所市民生活部共働推進課係長へのインタビューから、在日クルド人のうち特に住民登録していない人々、つまり仮放免者や非正規滞在者に対しては、他の市民と同等の行政サービスを提供することができないというジレンマがあることがわかった。しかし、それは「クルド人だから」ではなく、他の国籍を持つ外国人も同様である。また、「外国人か日本人か」という二項対立に帰する訳ではない。例えばDVを行う配偶者から逃れるために、住民登録を行わない人も公的サービスの対象外となってしまう。つまり、日本において公的保護網の線引きとなるのは、国籍の有無や「日本人/外国人」という区別ではなく、在留資格 の有無や住民登録の有無であることがわかった。
 一方、行政側の対応とは異なり、居住空間という意味では、クルド人コミュニティと日本人コミュニティが分断されていると、フィールドワークを通して感じた。日本に長年住みながら特にクルド人女性の多くは日本人の友人がおらず、日本語がほとんどしゃべれない人も多い。また、日本語教室で出会ったクルドの子どもたちのほとんどが地元の学校に通うが、いじめに遭うケースも多く、不登校になる子どももいた。漢字学習についていけない場合や、いつトルコに共生送還されるかわからない場合も多く、先行きの見通せなさゆえに、子どもたちの学習意欲も低い。
 トルコ国籍のクルド人の来日は90年代前半から始まる[西中2006: 9]。現在は、日本で生まれ育つクルド人の子どもたちが増加している。日本の国籍法は血統主義をとるゆえに、そのような子どもたちは、日本語を話し日本文化に慣れきっていても、日本国籍ではなくトルコ国籍、もしくは出生届を出していない場合、無国籍である。多様なルーツを持つ人々が日本社会に暮らす今、「多文化共生」について制度面からも、インフォーマルな側面からも考え直す必要があるだろう。

今後の展開

 今後は、アジア経済研究所図書館で収集したブルネイの新聞Borneo Bulletinの記事を分析し、1990年に”Melayu Islam Berja(マレー人、イスラーム、君主制)”というイスラーム教徒の「マレー人」と国王を中心とした国家イデオロギーが打ち出された前後で、「マレー人」という概念にどのような変化があったのか、また国家が保護する範囲をどのように設定し、どのような人々が包摂/排除されたのかを考察する。また、今回の調査では、日本においては、人々の生を規定するのは、国籍よりもむしろ在留資格や住民登録である可能性が高いことが示唆された。今後は日本における入管体制や住民登録・戸籍制度などを調べ、ブルネイにとの相違点や類似点について検討を行うことも今後の課題の一つである。

参考文献

 西中誠一郎.2006.「いまだ悪夢から覚めることができないー新しい難民認定制度と難民申請者の現在」大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター年報2006.pp.9-15.

  • レポート:赤坂 知美(2020年入学)
  • 派遣先国:(日本)千葉県千葉市、埼玉県川口市、埼玉県蕨市など
  • 渡航期間:2021年7月23日から2021年8月10日
  • キーワード:無国籍、移民、難民、在日クルド人、在留資格、人権

関連するフィールドワーク・レポート

インド指定部族の社会移動への意識とその実践/タミル・ナードゥ州指定部族パニヤーンを事例に

対象とする問題の概要  これまでインド政府は貧困問題を解決するために様々な政策を実施してきた。その成果はある程度認められるものの、依然として多くの貧困層を抱えており、貧困削減はインド社会において重大な社会問題として位置づけられている。なかで…

食料安全保障政策に対する村落社会の反応 /エチオピア・オロミア州の事例

対象とする問題の概要  エチオピアでは干ばつ等の発生による食料不足の事態が頻繁に起こっており、これに対し政府は2005年から食料安全保障政策としてプロダクティブセーフティネットプログラム(以下PSNP)を実施している。PSNPは食料が慢性的…

ルサカ市周縁の未計画居住区における生活環境の糞便汚染実態の調査

対象とする問題の概要  下痢は世界における死因の中で最も重大なものの1つである。特にアフリカでは下痢は重大な問題で、2019年に世界で150万人の人が下痢が原因で亡くなっているが、その約3分の1となる49万6千人がアフリカで亡くなったと報告…

長期化難民/移民に対する援助と地域社会の形成――タイ・ミャンマー国境地帯を事例として――

対象とする問題の概要  2021年以降、ミャンマーでは170万人以上がIDP[1]として国内での避難を余儀なくされている[2]。タイ国境においては歴史的に、国際的な人道支援アクセスが制限されるミャンマーへの「国境を越えた支援」が草の根のCS…

海と共に生きる人々――セネガル沿岸部における海産物利用と浜仕事の現状――

対象とする問題の概要  セネガル国は年間約40万トンの水揚げ量を誇るアフリカ有数の水産国であり、水産業は同国のGDPの約11%を占める重要な産業である。同国の総人口に対して15%を占める零細漁業者は、木造船を用いて漁を行う。同国では動物性た…