京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 COSER Center for On-Site Education and Research 附属次世代型アジア・アフリカ教育研究センター
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
フィールドワーク・レポート

ケニアにおける国民統合を求めて――SAFINAとPaul Muiteの歩みとその思想――

ナイロビ市内で撮影した今夏の選挙ポスター

対象とする問題の概要

 ケニアにおいて従来は流動的であった各民族集団への帰属は、イギリスによる「分割統治」を基本とする植民地支配と独立後の特定民族の優遇政策、特に不平等な土地分配を経て、固定性と排他性を帯びるようになった。こうした状況において、1991年の複数政党制の再導入後に各民族集団を支持基盤に持つ政党が乱立したことや、1991〜94年のリフトバレー紛争や2007〜08年の選挙後暴力のような民族間紛争が発生したことからも理解できるように、90年代以降のケニアにおいては民族意識が先鋭化あるいは表面化した。
 以上のような植民地化以降の歴史に加え、そもそも植民地化以前には「ケニア」地域には中央集権的な国家機構が存在していなかったという事実も考慮した上で、それぞれ独自の文化や言語を有する諸民族集団が単一の国家領域の内部に併存し合う中で、どのようにして独立後のケニアの人々は諸民族の境界を乗り越えようとしてきたのであろうか。
 以上が本研究の底流を為す中心的問題である。

研究目的

 上記の問題意識を踏まえた上で、本調査は、現代ケニアの国民統合に一定の貢献を果たしてきたと考えられるケニア人弁護士兼政治家であるポール・ムイテを調査対象とする。
 1945年にケニアに生を受けたポール・ムイテは、弁護士として活動した後、1990年頃から複数政党制要求運動に参加した。運動が結実した後、92年の国政選挙における初当選を経て、95年に政党SAFINAを結成する。ムイテはこの政党の党首として「反・部族主義」を標榜し、民族出自に依らず全ての人々が平等に権利を享受することのできる社会の構築を目指した。また2002年総選挙後のキバキ政権発足後、ムイテは議会の憲法改正特別委員会の委員長として、2010年までの憲法改正プロセスを主導した。
 本調査はケニアにおける文献資料収集と聞き取り調査を通じて、特にポール・ムイテがケニア政治における部族主義をどのように超克しようとしたのかという点に着目しながら、彼の思想と行動を明らかにすることを目的とする。

ケニア国立図書館(Maktaba Kuu)

フィールドワークから得られた知見について

 第一に、ナイロビ市内の国立図書館、国立資料館、ケニア最大のメディアグループ(Nation Media Group)の本社において、ムイテやケニア政治に関する文献資料の収集を行った。現時点に置いて報告者が読了することが出来ている資料はほとんど無い。しかしながら現時点で文献資料から得られている暫定的な知見としては、ムイテの二面性を指摘することができる。ムイテは特定の民族を主体とする政治経済的互助組織であるGEMAの再興を一時期主張していたが、他方で1992年総選挙における当選以来、「反・部族主義」を標榜するムイテの姿も度々文献資料上に確認できる。また彼が執筆した論文においては、ムイテはケニアにおける文化的多様性を称揚しつつも、政治における部族主義を戒めており、民族をめぐる分かち難い二律背反の中で後者のみを如何に抑制していくかという点がムイテの活動において重要な課題であったことが窺える。
 第二に、ケニア現地の人々に対して、ムイテやケニア政治に関する聞き取り調査を行った。ムイテに対する人々の評価は分かれ、明確な対照をなしていた。一方では、ムイテを、エスニシティの境界を越えた連帯を創造しようと努めてきた民主的政治家であると評する人々がいたが、他方では民族集団の範疇を越えようとするムイテの「反・部族主義」は結局のところ建前でしかなく、本音ではないと評する人々もいた。或いはムイテの弁護士としての活動は評価できるものの、政治家としての活動は評価できないとする政治関係者からのムイテ評も得られた。
 以上を総合して検討するに、ポール・ムイテを、ケニアの民主化を促進した「反・部族主義者」として安易に肯定的に断じることは、現時点では躊躇される。しかしながら、見方を変えてみれば、こうした「反・部族主義」イデオロギーをめぐる真摯さと偽善の狭間に揺れるムイテ像を精査することが、ケニアにおけるエスニシティの問題を考える上で意義があるのではないかと報告者は考えている。

反省と今後の展開

 第一に、渡航期間を短期に設定したため、人脈を十分に広げる前に日本に帰国することになった。知人からそのまた知人へと聞き取り調査の約束を取り付けることが出来れば、質的にも量的にも十分な情報が得られた可能性が高いが、時間的制約がそれを許さなかった。次回は十分な時間的余裕のある渡航計画を立てる必要がある。
 第二に、今回の調査では、主としてポール・ムイテの政治家としての側面にしか注目することが出来ず、ムイテの弁護士としての側面に迫ることが出来なかった。次回以降の渡航においては政治家や政党関係者のみならず、ムイテの弁護士時代の法曹関係者にも聞き取り調査を行う必要がある。
 今後は、今回の渡航において収集した文献資料の分析と聞き取り調査の結果の精査を行い、ムイテの政治思想とそれに基づいた彼の政治的足跡を明らかにすることで、現代ケニア政治における部族主義の超克のプロセスについて検討したい。

  • レポート:平野 雄太(2021年入学)
  • 派遣先国:ケニア共和国
  • 渡航期間:2022年9月13日から2022年11月24日
  • キーワード:ポール・ムイテ、国民統合、国家

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